小切手ごっこ [日記 パパシリーズ]
89歳の父は、孫たちにお小遣いをあげるのが大好きです。
今は 老人ホームにいるので、それができません。
何故かと言うと、(当然のことですが)ほんの小銭しか部屋に置けないことになっているのです。
私が娘や孫を連れて行く度に、お財布を出してはコインしか入っていないのを見て、
「ありゃりゃ、弱ったな~」と申し訳なさそうな顔をするのです。
本人にはとても辛いことのようです。
そこでこんなものを作りました。
おじいちゃん銀行発行のおじいちゃん小切手です。
フィリピンの言葉・タガログ語でおじいちゃんをロロ、おばあちゃんをロラと呼びます。
父と母はフィリピンの知人がたくさんいました。
初孫が生まれた時の彼らの提案「ロロちゃん」、「ロラちゃん」がすっかり定着し、一族の皆から今でもそう呼ばれています。
それで正しくは、ろろちゃん銀行のろろちゃん小切手です。
表紙には、「ろろちゃん小切手」 “Bnak of Saitama Papa” と。
中には10枚の小切手が入っています。
〇〇 〇〇様(口座を管理している息子の名)
★ 名義人〇〇 〇〇(お小遣いをもらう人)に私の口座から★
★ 金額______円をお渡しください。★
★ 目的______として(例えばお年玉として)
日付 年 月 日 ろろちゃん自署_______
なかなか素敵でしょう?
こんなもの持って行ったら馬鹿にするなと怒るかなと思いましたが、元々この手のお遊びや冗談にはよく乗ってくれる父でしたので、笑いながら、早速娘ばかりでなく私にまでちゃんと書いてくれました。
もちろん本当に請求するためのものではありませんが、父は、これでちゃんと口座から貰えよ、と言うことだったと思います。(それが証拠に、書いてくれるのはいつも妥当な金額です)
ですから、多分最初の頃はおふざけ半分本気半分だったのではないかと思いますが、今ではこれをくれると一安心で落ち着きます。これがないと孫が来ている間じゅう、小遣いやらにゃあな~ を繰り返します。
親って本当にありがたいものです。子や孫に良くしてやりたい、良くしてやりたいといつも思っているんですから。
猫 受難の日 [日記]
この休み中ほとんどの時間を台所で過ごしました。
料理の試作と言うこともあるのですが、一番の理由は寒さ対策です。
そこまでしなくても、とお思いになるかも知れませんが、
リビングルームは広くて板の床ですので、なかなか暖まらないんです。それに隙間だらけなもので終日暖めるのはとても不経済です。
台所は、ダイニングキッチンではないので狭いのですが、作業台にテーブルクロスを敷いて二人くらいなら食事もできます。足元用のストーブだけで充分暖かく、何より食事するのに座ったまま何にでも手が届くので、最高に快適です。
ここにPC二台と電話、必要な資料を持ち込んで仕事するととてもはかどります。
特に昨日は一日中一人だったので、ここにこもりっきりでした。
家にはココと言う猫がいます。
いつもなら私のそばに張り付いているこの子が、昨日は朝以来見かけませんでした。
二階で寝ているのでしょう。人間が物音を立てないから良く寝るわ。
それにしてもよく寝るとわ、と漠然と思いながら、仕事に熱中してました。
そして夕食まで済ませたあと、やっぱり何かおかしいと初めて思い、二階に上がってみました。
すると、いつも開けている寝室の戸が閉まり、中から小さな声で 「ニャ~~」 と聞こえます。
ごめんなさいね~ ココちゃん。
お母さん 閉じ込めちゃったのね。
この戸は引き戸なのでココには閉められないし、自然に閉まることもありません。
朝から多分12時間以上、飲まず食わずで。
そしてやっぱりお布団の上にされちゃってました。
でも怒る訳に行かず、私はただただ平謝りでした。
こんな時人間なら絶対ギンギンに怒ってしまうでしょう?
でもココは、寂しかったよ~ 恋しかったよ~ とでも言う様に私の足元にすりすりして離れようとしないんです。
ごめんね、ココ。
そうだったの、そうだったの。。。
ひとしきり甘えた後、例のごとく洗面所でお水を飲み、ご飯を食べて、私の膝の上でようやく落ち着きました。
これは昨日

これは生後2か月で家に来たばかりの頃。この頃から水道で飲むのが好きでした。
私は、今日は寒いけど庭に出て、汚れた布団の後始末でした。
ココが閉じ込められていた間に私がしたことは…
一月二月の料理教室の献立を考えたり、
生徒さんにお渡しする写真ページを作ったり=たくさん溜まってました=
思い着いたお料理を試作をしたり、
思い立って昼食に餃子と中華饅頭を作ったり(これは家用)


分かり辛いけれど、各回に作った料理をA4一枚にまとめてあります。
レシピと合わせてファイルすれば、お料理ブックが作れます。
左は去年の10月、右は11月のあるクラス。
気まぐれに色々な形。水餃子にする予定。
残り物で作った肉饅頭と胡麻くるみ饅頭 おいしかった~ ^-^)
丸一日見ないのに、漠然と思っただけとは!
これってボケの始まりなのかしら・・・
あわただしいスタート [日記]
新年早々に大寝坊しました。。。
今年は元日が日曜です。礼拝があります。
2012年最初の聖日の朝を神様に捧げるのです。
礼拝が始まるのは十時半、聖歌隊の集合時間は九時半です。
今朝五時過ぎまで起きていたので、目覚まし時計に全く気付かず、
目が覚めたのは、家を出る25分前でした。
お雑煮も食べず、お化粧しながらミルクティーを半分だけ飲んで、
すっ飛んで行きましたら、立て続けに隊員からメールや電話が着信します。
どれも、「遅れます~!」と言うものばかりです。
何と! 神様に賛美の歌をお捧げするために集まるのに、これで良いわけないわ。
教会に着いてまず、遅れてしまったことを神様にお詫びするお祈りから始めざるを得ませんでした。
*おことわり* 普通はこんなこと全然ありませんよ。ちゃんと時間までに集まるんですから。
こうして落ち着いたところで全員揃って発生練習から始めました。
今日のために私が選んだ二曲は歓びにあふれた曲で、結構なタフさが要求されるものです。
真面目に歌を歌うと、とてもおなかがすきます。
お雑煮もおせちも食べていません。
ところが、夕べは遅い時間に年越しうどんをおなか一杯食べていたので、ちゃんと持ちこたえました。
そうそう、昨日は急に思い立って年越しうどんを打ちました。厳密に言えば打ったのはホームベーカリーで、私は延ばして切っただけですが…


たくさん食べていおいて良かったのです。
こうして無事礼拝を終え、午後は老人ホームにいる父上の所にお年始のご挨拶を申し上げに行きました。
例によって一世紀近く前の他愛無い話を聞き、ティータイムの前のラジオ体操に付き合って、「食事して行けよ」と言うのを「今三時だからお昼は済んだし、夕食には早すぎるわ」と言って断り、帰って来ました。(ここはホテルではなく老人ホームですので、訪問客用の食事は出ないのですが、外食の大好きな父は注文してやるよ、と言っていつも誘ってくれるのです)
私が父の所にいた間に、震度4の地震がありました。ちょうどお茶の時間でみなさんラウンジにいらしたのですが、あまりあわててはいらっしゃらないご様子。
窓の外の立木がゆさゆさ揺れているので、私はちょっと怖かったのですが…
すっかり夕暮れっぽくなってから家に帰り着き、やっと念願のお雑煮にありつけました。
実際どうと言うことのない年明けの一日でした。
…が、この日常が永遠に続くと言う保証はない事を、私たちが真底知らされたのが2011年でした。
朝になれば目を覚まします。起きて寒ければ暖房をつけ、朝ご飯を用意し、家族と共にいただきます。
電車や車があり、または自分の足があり、仕事や用事があって出かけます。夕方になれば帰る家があり、暗くなれば電気が灯り…
あるのが当たり前なのでしょうか… なぜ何でもあるのかしら…
少なくても、私が偉いからあるのではない事だけは確かです。
空気があること、太陽があること、木や花があること…
私がどんな人間であるかに関係なく、無条件に与えられている!
まったく、いくつになっても驚くことばかり…
自然は、単に偶然と言うにはあまりにも調和がとれてい過ぎる。
本当にいくつになっても、三歳の子供の様に、驚くこと、不思議なこと、歓ぶことばかりです。
二十周年記念パーティー [日記]
先日、家でパーティーをしました。
私は自宅で「世界の家庭料理を作って食べる会」と言うのをしています。
その正式発足二十周年の記念パーティーです。
二十代から七十代の男女約二十人の集まりでした。

(この写真はもちろん若い方ばかりですわよ。)
二十年前当時、中国の大連から留学に来ていた友人リンさんに、美味しい中国の家庭料理をご披露いただきたいと思って始めたのがそもそものできっかけです。(リンさんについての記事はこちら⇒⇒)
ですので、第一回目は彼女が講師、数か月後のクリスマスディナーから私も講師に加わって「世界の家庭料理」となったのです。
この会のメンバーには十年以上続けてくださった方、くださっている方、がたくさんいらっしゃいます。一方、先月お入りになったばかりの方も。
それで、二十年の歴史を、PCでプレゼンテーションし、また、娘が展示してくれた資料コーナーで、みなさんに見ていただきました。
世界のあちらこちらの、多くはプロの料理人ではない友達から教えていただいたお料理を、やはり主婦でしかない私が日本の家庭に持ち込みたいと思った、大変経験的かつ主観的なレシピの数々。多くの料理に思い出やエピソードがまつわり、それらを分かち合ってくださった皆様のおかげで今があるのです。
まあ、とにかく「作って食べる会」ですから、お教えすると言うより、必要な材料と道具と方法を私が提供し、文字通りご一緒に作って食べるのです。
「同じ釜の飯」を作る仲ですから、初対面の方同士もすぐに打ち解け、本当に多岐にわたったおしゃべりをしながら、毎回お食事会のようです。
食を中心に色々な企画をしました。
写真が小さいですけど、当時は生徒さんも私も若かったわ。
二十年前に4歳だったリンさんのお嬢さん。
当時はお父さんおじいちゃんおばあちゃんと、大連でお母さんのお留守を守っていましたが、大きくなって日本に留学し、今は日本の企業に就職して岐阜にいます。その彼女が、大連にいる母親の代理で来てくださいました。
以前の何十分の一も世界を旅しなくなった私ですので、最近は新しい料理の考案と美しいサービス方法考えることを楽しんでいます。
けれども行き着くところ、もっとも美味しい家庭料理とは、高級食材でもなく高等技術に腐心するのでもなく、どんな材料であれ心をこめて作り、楽しい語らいの中でいただくお料理ですね、家族とであれ、友人知人とであれ。
それが生活なのですね。
どなたが写したか。。。楽屋風景

以前スタッフだった友人と娘が手伝ってくれました。
ピアノを弾いてくださった方があり、
6月以来ずっと眠っていた庭のばらは、
少し前から蕾を持ち始め、この日に満開となりました。
皆様、二十年の間ありがとうございました。これからも宜しくお願いいたします。
そして、新たにお迎えする皆様を歓迎いたします。
この日のお料理は…
今まで作ってきたものの中から記念的なメニューを12種類選びました。
パーティーが始まってから、まともな写真が殆どありません。
ですので、別の機会に作った同じお料理の写真をいくつか並べます。

オードブル これは娘の作品です。

おじさん・おばさんも楽しむ^^英語劇 [日記]
娘が仕事の時、私は孫のベビーシッターです。
昨日、銀行や買い物を済まそうと、乳母車を押して駅の方まで出掛けました。
交差点で信号待ちしていると
「先生!」と、一人のご婦人に声をかけられました。
私は去年の三月まである場所で大人に英会話を教えていました。
このご婦人はそこでの生徒さんだったのです。
1年半ぶりの方に声をかけられてとても嬉しかった。
彼女は乳母車を見て、「お孫さんですか? 大きくなりましたね~」
とおっしゃるんです。
孫が生まれたのはクラスを辞めた後だし、一度も会っていらっしゃらないのに・・・
と一瞬思いました。
すると彼女、「ブログいつも拝見してます!」と。
あぁ~ な~るほど。 生まれたことも、歩き始めたことも・・・
ちゃんと知っていてくださったんですね。
ブログって面白い。
何千キロ離れた所の方とも、すぐご近所の方とも、
一度もお会いしたことのない方とも、始終お会いしている方とも、等距離なんですものね。
ところで英会話の話ですが、
大人にとって他言語を身に着けるってとても難しいことですね。
それで私も色々工夫しました。
その一つが英語劇です。
兎に角何度も何度も同じ文章を繰り返して暗記していただこうと思って。

・・・私は世界中で一番美しいの・・・
(このことばは繰り返し練習しても、あまり言わない方が良いかもしれないわ)
毎週の授業の終わりに数か月かけて少しづ練習し、年末か年度末の最後のレッスンに上演会兼パーティーをするのです。
おととしまでの今頃は、ひと月後に迫った上演に向けて、みなさん焦り始めていらしたのかしら。
演目は・・・
「カルメン」 「椿姫」 これらは登場人物より生徒数が多いためダブルキャスト、トリプルキャスト。
「白雪姫と三人の小人」 これは人数が足りないため、七人の小人にならず。
「桃太郎」 そして最後になったのが「シンデレラ」でしたかしら・・
はではでしい王子様!
姫を誘拐しないでよ!!
舟、桃、鬼退治の斧に棍棒、荷車、のぼり… すべて生徒さんの手作りです。
私にはとても楽しかったのだけど、生徒の皆さんにはどうだったのでしょう??
英会話を習いに来て、なんでこんなことを! とご不満だったのか…
暗記なんかどうでも良いから、扮装を楽しんだのか…
ちょっと本音を伺って見る勇気がないまま終わりの日を迎えた私でした。

「椿 姫」 豪華トリプルキャストによる 全幕上演
でも私にとっては本当に幸せな年月であり、楽しい劇でした。
皆様、ありがとうございました。
昨日声をお掛けいただいたのをきっかけに、佳き思い出が甦りました。
おわり
柿を収穫 [日記]
一年おきに豊作の柿が、今年は特にたくさんの実を付けています。
猛暑のせいでしょうか?
立派で見るからにおいしそうなのですが、渋柿なんです。
私は柿が苦手ですが、ほっておくと熟した実が落ちて地面がひどいことになるので、ここ二週間ほど収穫に大忙しです。
せっかく立派な実がたくさん取れるので、渋抜きをしてお好きな方に差し上げています。
通りかかった方が、「たくさんなってますね」と声をかけてくださるので、「渋抜きしなければならないですが、お持ちになりませんか?」と言うと、どなたも喜んで持って行ってくださいます。そして渋抜きや干し柿作りの要領など教えていただいたりもします。
鈴なりとはこのことですね。
重なり合ってなるので、まだ少し青いのまで一緒にとれてしまいます。
渋抜きには色々な方法があるようですが、ヘタのところに焼酎をたらして
密閉するのが、結局一番確実なような気がします。
干物などを作る用のネットで、干し柿も作っています。
前回はそのまま物干し場にぶら下げたので、全部モズにやられました。
汚く食べ残して、おまけに物干し場の柵にたっぷりと落し物までして…
モズたち、残念でした! つつけないでしょう?
今日、一週間置いたのを恐る恐る試食してみましたら、ちゃんと渋は抜け甘くなっていたので安心しました。
父とshopping に♪ [日記 パパシリーズ]
老人ホームにお世話になっている、少し認知症の父との時間。
“愛するパパ♪”
季節が変わったので、弟が父の衣類の入れ替えに行ってくれました。
私は父を連れ出してズボンを買いに行きました。
年をとると、健康でも痩せて行くものなのですね。
若いころには172センチ、80キロ以上あった父が、今は54キロですって。
ウエストも細くなり、今までのズボンはどれもだらしない腰パンになってしまうのです。
年老いても素敵にして欲しいとみんな願ってます。
駅のそばのカジュアルな店に、ちょっと若すぎるかなと思いつつ行って見ました。
茶系のビロードのを濃淡二着、
足がいくらか細身にできているので、
試着したら若々しくてすごく素敵です。
本人もご満悦でした。
丈を直してもらっている間、
昔ながらの喫茶店でコーヒーを飲みました、
超おしゃべりの父の、
延々と続く話を聞きながら…
5分前のことは忘れてしまうのに、
一世紀近くも前のことを
つい昨日のことのように
繰り返し繰り返し語ります。
なかなかカッコいいでしょう?
あんたにも何か買ってやらにゃあなあ。
私はママのお古で良いわよ。
いろんな方からいただくからすごく衣装もちでしょう?
そうだな、ママ子は幸運な女だ。
そりゃあパパを射止めたんだから幸運な女でしょうよ。
そりゃあ、まあな… あんたはママの良いところばかり似たなあ。
(あら、それはそれは!)
じいさん(自分の父親)は本物のリベラリストだった。それにフェミニストじゃった。
生きとったら誰をNo.1と言うかな。
としこさん(自分の姉、つまり “じいさん”の長女)かな、
あんた(えっ? この私!)かなあ・・・
(私はいいわ。 93歳の伯母と競う元気はありませんわ。)
ばあさん(ひどいわ、自分の母親を!)は信仰に生きとった。
そうね、いつも細いソプラノで讃美歌うたってたわね。
いつ果てるともないこんな会話を交わし、丈の仕上がったズボンを受け取り、夕食直前にホームに滑り込んでスタッフの方々から「お帰りなさ~い!」と元気よく迎えられ・・・
私は、もうほとんど暗くなった道を独り運転して帰ります。
振り返ったら、ホームの窓と言う窓に暖色の光が灯ってました。
ああ、良かった。 皆さんの元気な声と笑顔に迎えられて、
父はこの暖色の光の中です。
今度は、新しいズボンをはいた父をドライブに連れ出したいな~~
森へお散歩に [日記]
秋ヶ瀬の森のご報告。
あちらこちらに群れて咲く彼岸花、
子豚の顔が連なったような、針葉樹の実
“赤まんま” は子供の頃、おままごとに欠かせない食材でしたわ。
10月3日、きれいな秋の空でした。
春の秋ヶ瀬の話題はこちら。
http://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2011-04-28
フィリピンからのお客様 [日記]
先日フィリピンからお客様が見えました。
「フィリピンの家族」でもご紹介した中のひと家族です。
末の息子さんのレオンが留学していた時に母がお世話したことがきっかけで、お互い家族ぐるみでお付き合いが30年も続いています。当時はたち前だった彼も今では立派な中年実業家です。
色々な国に母を中心にたくさんの家族的な知り合いがいましたが、母の亡きあと、更に震災の影響もあって来日する方が減りました。
そんな中で、一番頻繁に連絡くださるのがこの方たちです。
Mrs.Yanは若くして旦那様をなくされたのですが、ご主人のビジネスを引き継ぐ一方、幼い五人のお子さんを立派に育てた方です。
大富豪の奥様だったのですが、「とても苦労したのよ」と今回ポロッとおっしゃっていました。でも七十を超えた今も、愛らしくて優しく、とてもエレガントな方です。
お子さんたちは、実業家や弁護士として国を担うほどの立場になられました。ご主人のビジネスは今は末っ子のレオンと共に続け、本国とアメリカに展開しています。
両方の国を行き来する途中でいつも日本に立ち寄り、母が元気だった頃は一緒にショッピングや小旅行に出かけたりしていました。母が案内するのではなく、日本をよく知っている彼らが、母を色々なところに連れて行ってくれるのです。
三月の震災以来電話だけで、ずっと来日はされないまま過ぎていました。
Mrs.Yanが怖いと言うのですって。でも今回は、レオンがどうしても行きたいと言って寄ってくださったのです。
たった二泊の日本滞在でしたが、数時間一緒に過ごすために都内のホテルから私たちのいるさいたま市まで来て下さいました。
父を連れ出し、娘と孫も交えてカフェで延々おしゃべりしました。
今年の夏は、ロサンゼルスでも、ご長男の住んでいるニューヨークでも、マニラでも異常に熱かったそうです。そして今回のフィリピンの大洪水です。地球はいったいどうなっているのでしょう…
折から、ご二男が仕事で来日しているので都内で夕食を一緒にする、と、夕方には帰って行かれましたが、やはり母がいないのはとても物足りないのでしょう。
それでもクリスマス休みにはゆっくり来るから、と言って別れました。
カリフォルニアは子供を育てるのに良い環境だから、是非連れていらっしゃい、といつも言ってくださるのですが、二十年近く前に娘と母と三人で伺ったのが最後です。本当に行きたい。
長きに亘って国を越えてこうしてお付き合いくださる方がいるのは、何と幸せなことでしょうか。これもきっと母の大きな遺産でしょう。
孫にかわいい洋服をたくさん持ってきてくださいました。
服とお揃いのサンダルや
こんなかわいい刺繍のついたTシャツや色々と…
大人には中国のお月見の頃限定のお菓子・月餅とフィリピンのお菓子を。
満月に見立てた卵の黄身と、こってりしたあんこがたくさん入って、
すごく美味しかった♪
今頃はフィリピンでの忙しい日常に戻っていらっしゃることでしょう。









