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29 イスラム革命前のテヘラン rinoさんのブログに呼応して [あるスチュワーデスの思い出]

イランの首都テヘランについては、去年8月のブログ・「第三次印パ戦争」http://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2007-08-06-1でも少し触れましたが、Home Sweet Homeのrinoさんの最近の記事・「海外回想録・イラン」http://rinohome.blog.so-net.ne.jp/2008-02-22で、革命後のイランを垣間見せていただき、大変遠くなってしまったイランに思いを馳せています。

革命前のイランしか知らず、その後がずっと気になっていた私に、rinoさんの記事はとても興味深いものでした。
 

私は、1974年から77年ころまで3~4日のみの滞在ですが、何度も行きましたので、その頃の思い出をもう一度辿ってみることにいたします。



テヘランは鋭くとがった山々に囲まれた盆地ですが、それらの山には殆ど緑がみえず、空港から街までも岩砂漠のようなところを通って行きました。けれども中心地や大学周辺の大通りには豊かに街路樹が繁り、女性たちもファッショナブルな服装で颯爽と歩いているので、まるでヨーロッパの都市にいるようでした。

こう言う地域ではたまにチャドルを着ていても、カラフルなミニスカートの上から簡単に羽織っているだけなので、黒い裾を風に翻している姿がまたとても素敵なのです。今、私達が報道写真などで見るように体全体を覆ってチャドルを着ているのは、田舎のおばあさんや、一見して貧しいそうな女性ばかりでした。                                                                                                                                                                  しかし、実際はチャドルを着た人が少ないのではなく、近代的な考えや生活様式で街に出、社会で活躍する女性と、イスラムの教えに従って昔からの服装で殆ど家の奥まったところで生活を送る女性たちにはっきりと分かれていたのでしょう。                                                               この時代に、イランの様に欧米化されていない他のイスラム諸国では、街中は男性で溢れ、貧しそうな人々以外の女性を見かけること自体が少なかったのです。


テヘランではホテルのフロントにも当然のように女性スタッフが働いていましたが、他のイスラム国では、ルームメイドに至るまで殆ど男性で、女性の社会進出の度合いにはっきりと違いがありました。それは新米、西欧化政策を掲げるパーレビ国王の意志によるものです。

テヘランにはアメリカの大ホテルチェーンであるシェラトンがあり、私達乗員はそこに滞在していたのです。今からは考えられない時代です。
私はそこのレストランの、豚肉のハムの変わりに七面鳥のハムやチーズのたっぷりと乗った、シェフスサラダが大好きでした。

お酒は、イランばかりでなく、他のイスラム諸国でも外人は不自由はあるものの、まあまあ飲むことが出来たようです。
パキスタンはカラチでは、ホテルのバーでお酒を飲むのに、入国カードのような書類を書かされ、「興ざめだな~」なんて言いながら飲んでいる者もいました。かと思えば、ホテル近くのレストランでは、外人には当然のごとくビールを持って来てくれていました。
ただこの時代にもサウジアラビアだけは別で、そこでは外人にも大変厳しく飲酒や酒類の所持が禁じられていました。この国は入国に際して、他にも厳しい点があり、非常に緊張しました。

私たちが街にでかけるのは、主に博物館や宝物館、寺院などの見学や、ペルシャ絨毯の店やバザールでの買い物が目的です。
バザールには、金の装飾品、銅製品、アルミニュームやプラスチックの生活雑貨、絨毯やテーブルクロス、服地、果物や乾物などの食料品、音楽テープなどの店、羊の毛皮のコート専門店や、いわゆるお土産やなど、何でもありました。
どの店にはいっても先ずお茶を出されるのは、rinoさんもおっしゃるとおりです。そして道端には屋台の果物売りやナッツ売りがいて、良くピスタチオを買ったものです。
因みに、あちらの西瓜は巨大なラグビーボール型をしていて、土地の言葉で「ヘンダワネ」だと教わりました。

イスラム革命後、女子学生は学業の場を追われ、布で身を包む事が義務付けられ…  社会で活躍していた女性たちはどうしたのでしょうか。
革命のニュースをテレビで見たとき、街があまりに(チャドルで)真っ黒になったので驚きました。
そして一人イランだけではなく、イランの革命後周辺の国々もイスラム化傾向がはっきりと強くなったことを、入国に関わる規定の改定でも、体験的にも知りました。
            
 

ウィキペディアにチャドルについて、又イランの女性の地位に付いて興味深い記載がありましたので、関心のおありの方はどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%89%E3%83%AB


 

blog so-netのリニューアル後、改行、文字の大きさ、レイアウトなどが全くままならず、大変読みづらいページとなってしまいましたが、どうぞ悪しからず。

 

シルクのチャドルにはいつの間にか虫食いの穴があいていました。
     THRchadle.jpg   THRchadol.jpg

   


 


                                    テヘランを取り巻く峻厳な山はいつも雪を被って 

                                11673336.jpg



シープスキンのコートの店 

 THRcoatshop.jpg

   
                         絨毯の専門店  (この写真はカラチでのものです) 
                           11673331.jpg     


                                                

 


 


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コメント 17

めぎ

興味深いお話をありがとうございます。
ドイツでもイスラム系の女性は、学校に通っていてもベールをかぶっていたりします。学校を卒業したらどんな風に生きていくのかな、と思いながら見ています。
by めぎ (2008-02-29 08:05) 

Krause

私がシドニーにいる頃に、そこからイランへ旅立ったバックパッカーがいて、時々イランの近況などを書いた手紙が届きました。その頃いろいろ大きな動きがあったようですが、イスラムに詳しくなかった私は、事情がよく理解できませんでした。
by Krause (2008-02-29 08:23) 

もとこさん。

めぎ様、ヨーロッパのいずれかの国の学校で、イスラム系の女生徒がスカーフを被って登校することの是非が論争になっている話を少し前にTVで聞いたような気がします。ドイツだったのかしら?ファッションではなく信仰に基づくものですからとてもデリケートな問題ですね。
by もとこさん。 (2008-02-29 19:06) 

もとこさん。

Krause様、バックパッカーさんはご無事だったのでしょうか。昔はそう言うことも出来ましたね。
文明のふるさとである中近東を、誰もが安全に旅出来る日が一日も早く来るといいですね。
by もとこさん。 (2008-02-29 19:18) 

noie

イスラム社会で生きるには、働く女性に対して厳しいようですね。
生まれたときから普通のことと思って暮らせば
さほど不自由はないのでしょうか・・・。

西瓜、ヘンダワネ!覚えました~(*^^*)



by noie (2008-02-29 23:33) 

Mimosa

もとこさんのチャドル、素敵ですね~☆
当時のテヘランは、欧米化されていたり、イスラム社会の中でもまだ厳しくなかったり・・・と、まだ良かったですね。
イスラムの女性は、社会で働けなかったり、チャドル着用の義務があったり・・・と、私達からすれば、本当に窮屈な生活なのでしょうね~。
by Mimosa (2008-03-01 02:35) 

rino

もとこさん、大変貴重なお話をありがとうございました。
私の滞在は1995年から1999年ごろです。革命後20年程も
経ってからの滞在ですから、あのイランの女性達がミニスカートで
闊歩していた時代を想像できないくらいです。
それでも、時代は変化をしていて女性の社会進出に関しては少しづつ
でも進んでいるかに見えました。それは私が帰国してもう10年近く
経ちますが、その後も女性の地位は向上していってると思います。
私のいた時代にはスーパーのレジやなどでは女性を見かけました。
が、やはりバザールの店員は確かに男性ばかりでしたね。
きっとかつて活躍していた女性達は革命後不満はつのっていたので
しょうか。革命の本当の意味は私も実はよくわからないのです。
おっしゃるように、裕福な人々と貧しい人々では宗教の受け入れ方は
違うのですよね。それは私もすごく感じたことです。
サウジアラビアはイスラムの国でも特に戒律の厳しい国のようですね。

スイカ=「ヘンダワネ」 メロン=「ハルボゼ」
などなど・・・イランの果物はホント~~に美味しかったですね!

イランの事を記事にしようと思ってから、いろいろ思いを巡らせて
いたら、書きたいことが山ほどあるんです。
自分でも整理がつかなくて何から書いてよいのか・・・というほど。
もとこさんの記事は本当に興味深く、また
雪をかぶったイランの山やバザールやヒゲの男達や街の街路樹、
ほこりっぽい街・・空港から街までの土漠の風景・・・
きっとそれらはもとこさんの見た風景を変わってなかったのだろうな~
と懐かしくなりました。
もとこさんの記事に呼応して私も書いてみたいと思っています!!


by rino (2008-03-01 07:42) 

もとこさん。

noie様、本当にそうですね、女性の存在や価値が私達の社会とはすごく違うと思います。革命前と後を経験した近代的女性たちはどう切り替えたのか・・・
by もとこさん。 (2008-03-01 11:04) 

もとこさん。

yin_yang様、nice!有難うございます。
by もとこさん。 (2008-03-01 11:05) 

もとこさん。

Mimosa様、チャドルは西側ファッション的にアレンジするにはとっても素敵な素材ですよ。但し信仰と関わる衣服であるので、軽々しく扱ってはいけないと思うのですが。

by もとこさん。 (2008-03-01 11:15) 

もとこさん。

riino様、有難うございます。ぜひぜひ続きを書いて下さい。
私も書いて行くと様々なことが思い出されて、支離滅裂な文章になってしまいました。今回書き切れなかったこと、次回にも続けようと準備してます。

noieさんもコメントに書いていらっしゃるように、生まれたときから普通のこと思って暮らせば・・・なんしょうけど それが大きく覆される訳ですから、革命ってすごい事ですね。政治的なもの、宗教的なもの、文化・産業に関わるもの、色々な革命を人類は経験し、発端はどれもより良い社会を求めてのことでしょうけれど、未だに理想とは程遠いところに人類があるのはどうした訳でしょう・・・

rinoさんの記事楽しみにしてます!!!
by もとこさん。 (2008-03-01 11:32) 

めぎ

ベールをかぶっていることが問題になったのは、フランスだったと思います。ドイツは敗戦国ですから、国内にいる外国人の宗教に口出ししません。外国人をドイツ化することにも、かなり及び腰な方です。ベールの件は、同じヨーロッパでも他国(戦勝国)との違いを非常に感じたニュースでした。
by めぎ (2008-03-01 18:51) 

もとこさん。

めぎ様、そうですか、なるほど、「敗戦国だから・・・  口出ししません」めぎさんのコメントを拝見して、自分の鈍さにはっとさせられました。同じ敗戦国であってもドイツと日本では「敗戦意識」が随分違うのでしょうね。
日本はまた違った理由で外国人のであれ同国人のであれ、宗教に無関心ですね。
by もとこさん。 (2008-03-01 20:50) 

もとこさん。

xml_xsl様、COCO様、nice!を有難うございました。
by もとこさん。 (2008-03-01 20:51) 

もとこさん。

きぃ*様、たね様、nice!を有難うございます。
by もとこさん。 (2008-03-03 02:01) 

michael

昔のイランは一度行って見たい国の一つでした。ペルシャ絨毯を織るために作り手の人生の大部分を費やしていること、そしてその美しさ、触った官職、本当に素晴らしい。
しかし、革命後その夢も飛んで行ってしまいました。その後イラン人の機関士とフライトしたときに聞いた所によると今は行かない方が良いよとのことです。
by michael (2008-03-03 10:06) 

もとこさん。

Cap.michael, 残念! お月様に行けても昔のイランには行けませんものねぇ~~!
今はイラン人の機関士!国際的ですね・・・
by もとこさん。 (2008-03-03 20:15) 

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