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地球と言う大きな船 [日記]

イスラム世界が揺れに揺れています。

中東、北アフリカ地域に関心を持っていましたので、大変気になります。
なにより、子供の頃から親しんできた聖書の舞台でありますし、
日本と大きく異なるであろう文化、政治体制や気候風土はとても不思議で、想像を掻き立てられます。
ですから、行ってみたい、人々と接してみたい… とずっと思っていました。

乗務員として滞在するのは数日ですので、繰り返し行ったとは言えほんの表面を垣間見ただけではあります。けれどそれなりに感じるもの、知り得るものはたくさんありましたので、入国するにも滞在するにもある程度緊張せざるを得ない乗務先でしたが、私はこのフライトが大好きでした。

「あるスチュワーデス々の思い出」シリーズで、これらの国での話題をいくつか取り上げ
ましたので、それぞれの土地での話題に興味お持ち下さる方はそちらをご覧ください。
http://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2007-08-06-1
http://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2007-11-17
http://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2008-02-23
http://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2008-03-01
その他

当時(2・30年前!)表面的には穏やかだったそれらの都市は、今どうなっているのでしょうか。

エジプトは主要な産業の一つが観光ですから、観光客が比較的安全快適に滞在できるところでした。中東・湾岸諸国の多くは(当時は)観光客が行く場所ではありませんでした。でも、土地の人々も、日本を含む外国の駐在員も、私たちの様に仕事で数日滞在する者も、普通に生活し仕事していたのです。
けれど連日テレビの画面に映し出される映像は、あの市民生活があった広場とはどうしても重ねることの出来ない光景ばかりです。
そしてもっと東、イラン、パキスタン、タイなど、ここ数十年の間に大きな政治体制の変化がありました。
表面的、一時的には平静を保てても、力を以って人々を永遠に抑圧し続けるはのは不可能なことでしょう。
でも、今回一気に爆発した(爆発しつつある)エネルギーはどこに行くのでしょう… 
本当に人々が解放されて生活も精神も豊かな方向に向かわなければ、犠牲となった魂は救いわれないのではないでしょうか。のみならず、更なる犠牲が積み重ねられることでしょう。
日本も地球と言う大きな船に乗っていて、この船全体が今、大きな歴史の流れの中にあることを実感します。
この船のなかで日本はどんな役割を果たせるのでしょうか… 
そして日本自身の抱えている様々な病理的な状態をも、どの様に解決することが出来るのでしょうか…

 

以下、湾岸諸国とエジプト、パキスタン、イスラム革命前のイランでの写真をいくつか掲載します。
今はこんなにのどかに見物したり買い物したりなんて、絶対に出来ないのでしょう。でも、私たちは危険なら行かなければ良いのですが、そこに住んでいる人々はどうしているのでしょうか…

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写真がめちゃくちゃでしょう?
もっと小さくしたいのに、下書きで縮小しても反映されません。
醜い画面ですが、ごめんなさい、このまま公開します。

 

 


タグ:日記

鶴丸再び [あるスチュワーデスの思い出…続編]

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こんな風景が蘇るのでしょうか・・・

航空会社での大昔の経験をこのブログに書いて来た者として(「あるスチュワーデスの思い出」シリーズ37話。第一話はこちら⇒)、芳しからぬ昨今のニュースに接するごとに色々な思いを抱いて来ました。

我欲ではなく、相手のため、社会のため、より公的な目的のために、全社が真にひとつなれば、最も困難な事態をも乗り越えられることでしょう。その様にして、一日も早く社会の信頼を得られる組織を構築して欲しいものと思います。
全員が一丸となってがんばるのは、企業であれサッカーチームであれ、順調な時であれ、不調な時であれ、すばらしいことですね。いえ、当たり前のことですよね。

公的な組織であればあるほど、費用、時間、エネルギーの無駄を省くことは、厳密に必要とされている事ではあっても、省くべき無駄と、省いてはいけない物事を正しく選別して欲しいと思います。

緊急時のための備えには莫大な費用がかかります。
各種の器材、その使用と管理に関わる職員の教育訓練、安全性確保のための、飛行機を稼動させない時間…  

けれど、安全が確保されているのは当たり前の基本ですから、それらにコストをかけている事が宣伝にもなりません。
こんな豪華な機内食です、座席は何インチ広がって快適です、とは言っても、緊急脱出用スライドの操作性がこんなに良くなりました、なんて宣伝する航空会社は見たことがありません。
(本当はそれのほうがもっと重要だと思うのですが…)

その上、皮肉なことに、
莫大なお金をかけて準備する、これら万一に備えるための物、時間、技術ですが、すべて全く出番なく使用されずに終わるのが最も良い訳です。

安全のための予算だけはくれぐれも、くれぐれも十分に確保してほしいものです。

更に言わせていただけば、従業員は生身の人間です。必要な休養を与えずに過度に使い続ければ、壊れてしまうのです。

マークはどうであれ、安全快適な内容でもって長く信頼され得る航空会社として蘇って欲しいと、切に願います。嘗て在籍した一人としての責任上、その様に祈念いたします。


Happy Retirement [あるスチュワーデスの思い出]

先日のクラシックジャンボ引退のニュースから、久しぶりで先週CA時代の思い出を書きました。
これをきっかけに、冗漫な昔語りに終止符を打とうと思います。
始めと終わりの事を簡単に書かせていただき、これを最後に致します。

長い間40~20年も前の話におつきくださいまして、有難うございました。

 

1969年のおんぼろ訓練所での訓練開始から、途中で完成したハイテクシュミレーションを備えた訓練センターに移り、ジャンボ第一機就航の年に私も一人前になって飛び始めました。
狭くて古い羽田空港から10年間フライトし、後の10年は成田新東京国際空港!からの乗務でした。
両空港とも、その後進化に進化を遂げ、私は今たまに行っても、当時のオフィスがどこにあったのかさえ分かりません。
世界の空港が移転、改築で立派になり、かつての慣れた土地に旅行するにも迷子になるばかりです。

大雑把に言ってですか、何事につけ世界的な流れは自国趣味を押し出すより、国際的な方向に向いているようですが、機内で働くCAも、多くの航空会社で様々な人種がサービスに当たっていますね。
私が退職した1990年前後がその変わり目だったのでしょう。今ではどのエアラインのフライトに乗っても、どの国の飛行機か分からなくなりましたね。
安全で快適であれば、それが何よりです。

私的な事も少し…
アラサーというよりは充分にアラフォー、と言われる歳になってから結婚し、娘が三歳ちょっとになるまで飛んでいました。

     お相手はお客様だった大富豪? それともcool!なパイロット?

残念でした! 地味に、家庭ぐるみ親しかった幼馴染です。(あらっ、○○○ちゃんごめんなさい)

最後のサンフランシスコへのフライトには、母が早くから自分と孫のチケットを買い込み、娘を連れて乗って来てくれました。
機内で娘に「おかあさ~ん」と呼ばれるので、制服姿の私は母たちの席に近づくことがはばかられました。
後で、ほんとの親子とはご存じない隣の席のお客様に「実は… 」とお話しすると、「人懐こいお嬢ちゃんだなと思ってましたよ」とニコニコして言ってくださいました。

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 クルーのおねえさんの

 帽子をお借りして。

 

たった数ヶ月で辞めるスチュワーデスでも最後のフライトの終わりには必ず涙を見せるものです。
それなのに私は嬉しくて、ニコニコで、ねぎらってくださった同僚や上司は物足りなかったのではないかしら。
だって数えきれない良き思い出と経験を得て、これからは毎日幼い娘や家族と一緒にいられる、新しい仕事が私を待っている、そして、365晩、体を水平にして眠れる、 と思うと嬉しくて嬉しくて…

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かつてのお客様、上司、同僚の皆様、
そして安全運行を支える全ての方々、
今更ながら、有難うございました。

このシリーズをお読み下さった
読者の皆様、
有難うございました。

 

 

               。。。~。~。~☆。☆。☆~。~。~。。。

料理に関する記事の殆どを、「世界の家庭料理を作って食べる会」 のブログhttp://corner-house.blog.so-net.ne.jp/ に、順次移させていただいております。
カテゴリーは「世界のお惣菜」と「私のレスピーブックより」です。
「Lilca Days 世界は私の学校」 とあわせて、そちらも宜しくお願いいたします[黒ハート]


クラシックジャンボ [あるスチュワーデスの思い出]

 

今日7月31日、クラシックジャンボが日本の航空会社での最後のフライトを終えたというニュースを見ました。

インタビューを受けた方々は、若い乗客もお歳を召した方も、一応に感慨深かったようです。

私も大変感慨深く、このニュースを見ました。

ジャンボの第一機が就航した1970年は、私にとっても、入社後の長い訓練を終えてスチュワーデスとして飛び始めた、忘れられない年だからです。

ジャンボ機は、大きさはもとより、性能や設備も、お客様や乗員の数も、それまでの飛行機とは革命的に違うように見えたものです。
従来の飛行機が乗り物なら、ジャンボは正に建物でした。
なぜなら、客室にいて目に入るのは窓の外の大空ではなく、客室内の壁やドアですから。

何度も保安訓練とサービス手順の訓練を受けて、不安と期待で第一機を迎えたものです。

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テヘランの思い出 [私のお宝シリーズ  世界の面白道具]

 

前回のブログに、私のお宝を公開と書きましたが、早速行き詰まっています。

逆さま地図は、私にとって大切な宝物なのですが、後が続きませんね…

立派なお屋敷を所有する訳でもなし、高級車を乗り回す訳でもなし、宝石はどうでも良いし、
ファッションに関心が無い訳ではありませんが、有名ブランド好きではないし…

それで、やっぱり私の宝物その2はこれです。

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 [私のお宝シリーズ  世界の面白道具]

これは何でしょう・・・?

   逆地図逆.jpg

見慣れた世界地図ですよね。

ところが  

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39 アラスカへ! [あるスチュワーデスの思い出]

 

おぉ~~ アラスカ !   あぁ~~ Wasilla !!

アメリカ共和党の副大統領候補としてサラ・ペイリンさんが出現するまで、日本でアラスカが話題になることは多くはありませんでしたね。
ましてや彼女の根拠地の「ワシラWasilla」と言う地名が、日本のメディアにいささかでも登場するとは、思っても見ませんでした。

今、この季節に、アンカレッジの北約70キロのワシラへのドライブがどんなに素晴らしいか、普通そんなこと考えませんよね。

 

そこで・・・                      (アメリカの大統領選について論じようと言うのではありません)

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37 空のたび と 旅行 [あるスチュワーデスの思い出]


久しぶりに 飛行機の話題です。

先日、救命胴衣などの説明が昔はビデオではなくCAの実演でされていた話しを書きましたら、多くの方から今でも実演で行われている旨のコメントをいただきました。
ジャンボやDC10など大きい機材が就航しているであろう長い路線でも、今も実演しているエアラインがあることに驚きました。

こんな風に、今の状況に大変疎い私の昔の話に、もう暫くお付き合いください。

そもそも映画やビデオが空の旅に持ち込まれるようになったのは、1970年前後のボーイング747ジャンボジェットの導入の時です。 

ジャンボジェットの導入は、客室サービスの点でも、大げさに言えば革命的な出来事でした。
それまでは一本の通路の左右に座席があるだけですから、行ったり来たりの前後移動だけ。
そして一番前か一番後ろに立てば、客室がほぼ全域見渡せます。
それに対して、ジャンボで二本の通路が出現したと言うことは、それを横に結ぶ左右の動きと、更には二階席への上下の動きまで加わったわけです。
あちらこちらに死角もでき、その中で動き回っている私たちにとっては、「乗り物」から「建物」に変わった位の大きな変化でした。
お客様の様子を一目で把握する事は、もう出来なくなりました。
乗員同士、誰がどこで何をしているのか分からない様な状態となりました。

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あさりのフィリピン式スペイン料理 [料理]

 

Almejas al Horno  アルメハス・アル・ホルノ     almejosnew.jpg

                                    

    almejas は あさり又はムールー貝を、

    horno は 炉 を 意味するスペイン語、

       カッコイイ名前でしょう?

 

 

 

 

フィリピンは16世紀の後半から350年に渡ってスペインの支配を受けました。
その影響が、上流階級ほど生活様式の中に残っている事を以前に書きましたが(フィリピンの家族)、食べ物にもそれは窺えます。
私たち乗員の宿泊していたホテルのすぐそばにも、スペインレストランがありました。
私はそこで出される温かいオードブルであるこのお料理が大好きで、お昼も晩も、翌日のお昼もこれを食べに行き、果ては出発前の夕食用にテイクアウトしてくるほど美味しいと思ったものです。
でもこれがスペイン料理かどうか、私には分かりませんが。。。

 

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タグ:料理

フィリピン料理 ポーク&チキンアドボー [料理]

前回の「フィリピンの家族」の最後でお約束した料理の一つ目です。

フィリピンには日本のご飯にも馴染むおかずが沢山あります。 
このPork and Chicken Adoboは、母がお世話した一人目の学生クレメンのレスピーです。彼はホテルやレストランを経営する大家族の末っ子で、18歳にして料理にとても関心があり、ある日私の家族をお客にしてディナーパーティーをしようと言い出しました。それで私は彼から初めてのフィリピン料理の「レッスン」を受ける事になったのです。

この他に彼はシーザーサラダをショー的にお客の前で作って見せてくれました。それがとても楽しかったので、別の機会に書きます。

アドボーはこの時以来、家族に、お客様に、お弁当に・・・ と、我が家の定番中の定番になりました。

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一応の目安として調味料の分量も書きますが、お好みで甘くも辛くも酸っぱくもして、ご自分の味を作って下さい。

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タグ:料理
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