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36 フィリピンの家族 [あるスチュワーデスの思い出]

私にとって日本以外で一番知り合いが多い国はフィリピンです。
マニラへはCAとして100回くらい行ったのですが、そればかりでなく、母が留学生の世話をしておりその学生の中にフィリピン人が多かったためです。彼らとは母ばかりでなく私たちも30年以上を経た今もお互いに親戚のように行き来し、お付き合いいただいています。
30年前にはたち前後の学生だった彼らが、社会人になり、結婚し、子供を育て、社会の中枢を担うおじさんおばさんになった今も国を越えて親しく思える相手であることは本当に幸せです。今更ながら母の世話焼きに感謝してます。

 

                  ~~~☆☆☆~~~

世界には大きな貧富の差がある事を知識として知ってはいましたが、私は20代半ばにして漸くこの国で始めてそれを実感したように思います。
勿論フライトで行って本当に貧しい人々が生活しているところに行くわけではありませんが、それでも学校にも行かず、一日中炎天の路上でタバコを一本単位で売る小さな子供達や、田舎の人々の貧しい生活を垣間見ました。
一方で、留学生達の実家にも招かれ、日本では私など経験することの無い優雅な生活も見せていただきました。私費で日本に来ていた学生たちは大富豪の子弟たちか、大変優秀な(この点でも私たち家族とは大違いな!)国費留学生でした。

 

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35 酸素マスクと救命胴衣 [あるスチュワーデスの思い出]

 

飛行機に乗ると離陸前に必ず上映されるビデオがありますね。安全に関するお知らせです。
皆様は、意識してちゃんとご覧になってますか?

今はどこの航空会社でもビデオですが、昔はスチュワード、スチュワーデスが生で演じていた事を、中年以上の方なら憶えておいででしょう。

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34 昇格 [あるスチュワーデスの思い出]

私が入社した頃はスチュワーデスは30歳が停年だったことは以前書きましたが、私自身が30になるより前に停年は40歳に延長され、40になる前に45歳に延長され・・・  と、結局停年に届かずじまいでした。そして女性も上の職位に上がることが出来るようになり、退職するまでの間に74年と78年の二回、昇格のための訓練を受けました。

上位職になれば責任範囲が多少広がり、収入もわずかであっても増えます。でもそれらのことより、「スチュワーデスの停年」に書きましたように、女は万年平の時代から始まった私ですから、昇格できる様になったその事が、とっても貴重に思え嬉しかったものです。
こんな時代の事、今の若い人たちには想像できないかも知れませんね。
でももっと前には、どの職業でも女性が社会で長く働くには、様々な困難を乗り越えなければならない時代があった訳です。
今のように各界で女性が活躍するようになるには、勿論様々な社会的要因がありますが、先輩達が苦労を重ねて実績を作ってくださった事も事実でしょう。だから私たち、そして今の人たちがあるのだと思います。
そして未来、男女に関わり無く、皆がおおらかに、ゆとりを持って働き、正当に評価される時代が早く来ると良いと思います。

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33 27年前のフライドで [あるスチュワーデスの思い出]

 

今から27年前の冬、ロサンゼルス発東京行きのファーストクラスに、一人の日本人青年実業家がお乗りでした。
浅黒く日焼けし、爽やかな、普通なら快活であろう、若きジェントルマンとお見受けしました。
お気の毒にも足には包帯を巻き、松葉杖をついてのご搭乗です。

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カラチのチキンテッカ [料理]

 

今日はカラチの地元料理のレストランで散々食べた、あのチキンテッカを作りました。
レストランの庭にバーベキューの炉があって、いつも香ばしい匂いがしてました。

日本ではインド料理のレストランにも必ずありますし、今ではファミリーレストランでも見かけます。
でも私は、カラチのあの味に近くなるようにスパイスを沢山入れて、家で作るのが好きです。
とっても簡単です。

       tekkadone.jpg

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タグ:料理

32 イスラム圏滞在記 その3 最終回 [あるスチュワーデスの思い出]

「イスラム革命前のテヘラン」と、「イスラム圏滞在記その1」で1970年代のかの地の服装について書きましたが、革命後の服装について詳しく書かれているrinoさんのブログ「イラン女性の服装」http://rinohome.blog.so-net.ne.jp/2008-03-04を拝見してびっくりしました。革命後は、イランだけでなくイスラム諸国全体が更にイスラム化されたと聞いていましたが、本国イランで外国人に対してもそこまで厳しくなったとは、想像を絶する変化です。
革命とは斯くも大きく社会を変えるものなのですね。

さて、1979年のイラン・イスラム革命前の周辺諸国の話の続きです。

中東イスラム圏は、共通の宗教的価値観と、その多くが共通の言語を持つ15~20もの独立国が存在する広い地域です。更に東南アジアやアフリカなどを含め、大変広範囲に渡る人々がコーランの教えに従って生きている訳です。

一方私たちの方は、日本語を公用語とする国は日本のみ、宗教的価値観を共有する他国は無いと言うわけで、この点で対極的な国でしょう。また、これらの国々では政治から個人の生活まで宗教的理念に則っておこなわれているのに対し、この点でも非宗教的な日本は、対極にあるのではないでしょうか。

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31 イスラム圏滞在記 その2 [あるスチュワーデスの思い出]

前回のイスラム革命前の中東滞在記http://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2008-03-01の続きです。

私自身が滞在したことのある中東・湾岸諸国は・・・  
パキスタン、イラン、クエート、アラブ首長国連邦、バーレーン、サウジアラビア、エジプトです。けれど残念ながら、個人的なお付き合いは、日本に住んでいたパキスタン人の女性と短期間あっただけです。これらの国で家に招かれた事もありませんでした。

どこに行っても店員は親しげに話しかけて来ますが、殆ど男性で、しかも商売の話しかしませんから、人々がどんな風に生活しているのか、何を考えているのか知る機会はあまりありませんでした。

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30 イスラム圏滞在記 その1 [あるスチュワーデスの思い出]

  前回のテヘランhttp://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2008-02-23に続き、イスラム革命前の周辺の国々の話です。   当時は今のように中東が緊迫した状態ではなかったので、広域に路線網を持つ航空会社は、パキスタン、イラン、イラク、サウジアラビア等など 多くの中東・湾岸諸国に定期便を就航させていました。そしてビジネス客は勿論、ヨーロッパ人を中心に観光客も随分滞在していました。けれど現在ではこれらの地域の多くは、外務省の地域別危険情報http://www.anzen.mofa.go.jp/index.htmlで、「渡航の是非を検討してください。」にランク付けされています。つまり「どうしても行かなければいけないの?もう一度考え直して!」と言うところでしょうか・・・

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29 イスラム革命前のテヘラン rinoさんのブログに呼応して [あるスチュワーデスの思い出]

イランの首都テヘランについては、去年8月のブログ・「第三次印パ戦争」http://lilac-days.blog.so-net.ne.jp/2007-08-06-1でも少し触れましたが、Home Sweet Homeのrinoさんの最近の記事・「海外回想録・イラン」http://rinohome.blog.so-net.ne.jp/2008-02-22で、革命後のイランを垣間見せていただき、大変遠くなってしまったイランに思いを馳せています。

革命前のイランしか知らず、その後がずっと気になっていた私に、rinoさんの記事はとても興味深いものでした。
 

私は、1974年から77年ころまで3~4日のみの滞在ですが、何度も行きましたので、その頃の思い出をもう一度辿ってみることにいたします。



テヘランは鋭くとがった山々に囲まれた盆地ですが、それらの山には殆ど緑がみえず、空港から街までも岩砂漠のようなところを通って行きました。けれども中心地や大学周辺の大通りには豊かに街路樹が繁り、女性たちもファッショナブルな服装で颯爽と歩いているので、まるでヨーロッパの都市にいるようでした。

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28 ソ連・モスクワへのフライト [あるスチュワーデスの思い出]

今日のようにどんよりと寒い日には、思い出すフライトがあります。
モスクワへのフライトです。

今でもロシアを訪れるにはビザが必要なようですが、ソ連時代、ビザを取るのは簡単ではなく、私達も一部の乗員だけが取り、一年間モスクワ経由のヨーロッパ線ばかりを飛びました。

私は1991年のソビエト連邦崩壊以前しか知らず、今と比べる事が出来ないのですが、当時は旅行者にも様々な制約がありました。

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