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24 オランダの年越しりんご

以前に連載しておりました記事の中で、
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。
古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します
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 交通機関は暮れもお正月も稼動していますから、私達乗員もいつも年越しは何処かの空です。


 ある年、オランダのアムステルダム滞在中に新年を迎えました。


 大晦日は昼間からあちこちで爆竹の音が聞こえていましたが、夕方になるにしたがって激しくなります。そして真っ暗になると花火が上がり始めました。
 真夜中に近づくに連れてその数が増えて行きます。



 12時直前には花火の数がピークに達し、あちこちから一斉に上がる花火で、遂に空じゅうが一杯になりました。

 私は街の中心部から少し離れて、回りに高い建物のないところにあるホテルの、見晴らしの良い階に泊まっていました。
 窓からの光景はプラネタリウムの様です。
 家々の屋根や教会の尖塔がシルエットになって浮かび上がり、どの方向からも一斉に花火が上がるのです。
 日本では、花火は、同じ方角から順番に上がるでしょう。ですから空じゅうに一度に上がる花火は初めてでした。


 その晩の夕食は、ホテルの近くの小さなレストランで済ませました。
 ウエートレスが申し訳なさそうに、「今日は8時で閉店なんです。いつもなら遅くまでやってるのに、ゆっくりしていただけなくてごめんなさい。」と言いながら、「家族で食べるために作ったんですが、いかが?」と、ナプキンに包んだりんごのお菓子を差し出します。
 もちろん大喜びでいただき、部屋まで持って帰りました。
 オランダの習慣では、年越しに、輪切りにしててんぷらの様に衣を付けて揚げたりんごを食べるのだそうです。


  厳冬の空に上がる満天の花火。 ホテルの部屋から、一人見つめる女…
  口には、輪切りのりんごのてんぷらを、しっかりとくわえて…


 5~6年後にも同じところで年越ししましたが、もはや花火はちょろちょろしか上がらず、りんごのてんぷらも出ては来ませんでした。


 


家に帰ってから、まねして作ったものがこちらです。


     10832538.jpg


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            これも若き日の思い出の味です。


 作り方  りんごを輪切りにして軽く小麦粉をはたく。
      卵で溶き、シナモンとナツメッグを入れた小麦粉の衣を付け、
      多目のバターで焼く。
      出来上がりに粉砂糖を振る。


 


 


 


 


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19 ペルシャ湾の藻屑と 後編

 以前に連載しておりました記事の中で、
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。
古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します
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 足元の水を見ると歩いて帰れそうなくらい遠浅です。しかしだまされてはいけません。ここの海底は粘土質の土壌ですから、立とうとすればずぶずぶと引きずり込まれて行き、自力で再び浮き上がる事は出来ないのです。


 やはり帆を立てるしかないともう一度試みていると… 


 私の方に、二人乗りのサーフボードが近づいて来るのが、見えるではありませんか。


 この日家族と海岸に遊びに来ていたフランスからの駐在員が私に気付き、ホテルのベルマンを乗せて助けに来てくれたのです[exclamation]
 私のボードにホテルの人が乗り、私はフランス人のボードで浜辺まで連れて帰ってもらう事ができたのです[exclamation×2]


 素晴らしい、快速サーフィンでの帰り道です。
 ボードのしっぽにつかまってお尻から先を水に浸け、イルカに乗った少年のような気分で水面を曳航されて行きました。


 …と、途中で濡れたボードからするすると手が離れ始めるのです
 今度は海の中に身ひとつで取り残されてしまいました


 しかし、暫く行ってサーファー氏、急に軽くなった事に気付いたのでしょう、見事なUターンで戻って来て、私を海から引き上げてくれました。そして無事に浜辺に戻って来る事が出来たのです。


 その日は金曜日、イスラムの国では金曜日は私達の日曜日に当たり休日です。海岸の監視員も休みだったため、もしこのフランス人一家が気付いてくれなければ、私はきっとペルシャ湾の藻屑と消えていた事でしょう。
 そして日本でニュースになり、無謀でおろかな女として大きな顰蹙を買った事でしょう。


 しかし、ホテルの従業員氏と言いフランス人と言い、惚れ惚れするような見事な帆さばきでした。(そう言えばホテルの人は水着ではなく、白いベルマンの制服のままでした!


 私の方はその後機会がなく、未だにマスターしていません。 


教訓 
 
1、ウインドサーフィンをする時は、充分上達するまでは壊れていないボードを使う事。
 2、イスラム教の国で活動する時は、金曜日が休日であることを心得ておく事。


** アブダビ滞在中に描いた水彩のスケッチがある筈ですが、どうしても見つかりません。写真も残っていず、文字ばっかりで申し訳ありません。 **


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18 ペルシャ湾の藻屑と 前編


 今日はアラブ首長国連邦に滞在した時の私的な経験をお聞き下さい。


 1980年頃の南回りヨーロッパ線の中継地の一つ、アラブ首長国連邦の首都・アブダビ。就航便数が少ないため、必ず3~4日の滞在となります。比較的治安の良い街でしたが、それでも女性が一人で気軽に観光に出かけることの出来る場所ではありませんので、皆、毎日ホテルにたむろしている事になります。


 宿は海岸に建つゴージャスなリゾートホテルです。ペルシャ湾に面してプライベートビーチがあり、ペルシャ湾を出ればアラビア海です。 


 食事は、毎日三食ホテル内の洋食のビュッフェのみ。
私はひがな一日水着のまま、プールサイドの芝生でごろごろして過ごしています。


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 太陽が大好き、食べ物は何でもOKの私には、夢のような4日間です。
けれど、日焼けがだめ、和食が恋しい仲間にとっては、耐えがたき時間なのです。


 プライベートビーチにはお遊び道具が色々用意されていますが、観光地ではないので面倒を見てくれるインストラクターが居るわけではありません。
 私は到着の翌日、同乗の操縦士に教わりながら、生まれて初めてウインドサーフィンをしました。そしてその翌日、教えてくれた彼は日本に戻る便に乗務して行ってしまいました。
 ローマ行きの乗務まであと3日滞在する私はこの期間にマスターしてしまおうと、無謀にもひとりでウインドサーフィンの練習に出かけて行ったのです。


 最初の5分はうまく行きました。
 ところが少し強い風が吹き、すぐに帆が倒れてしまったのです。それからは、帆を立ててやっと立ち上がると再び風を受けて倒れ、また立ち上がるとまた倒れ…… 
 帆の根元を受けるボード側の穴が壊れていて、しっかりと立てることが出来ない、要修理のボードだったのです。
 それでも何とか岸まで帰ろうと、立てては倒れを繰り返している内に潮に流され、ふと見ると海岸は遥かかなたに遠ざかっていました。


 漸く事態が自分の手に負えない状態になろうとしている事に気付いた私は、浜辺に向かって一生懸命手を振りました。
 命がけで手を振っているつもりの私に、遠くの浜辺で誰かが親切にものんびりと手を振り返してくれました。


 そうじゃないの~  助けて~ 


 足元の水を見ると歩いて帰れそうなくらい遠浅です。しかしだまされてはいけません。ここの海底は粘土質の土壌ですから、立とうとすればずぶずぶと引きずり込まれて行き、自力で再び浮き上がる事は出来ないのです。


     さてさて、もとこさんの運命や如何に           後編に続く


 


 


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17 最も喜ばれたお土産の思い出


誰かに何かをプレゼントをして喜んでいただけるのは、贈った側も嬉しいですね。


フライト先で買ったお土産で、喜んでいただけた物を幾つか挙げて見ることにしましょう。


先ず、ライラックの花束です。

えっ?とお思いかも知れませんね。
今では家の近所でもいくらでも見ることが出来る花ですが、昔は札幌のライラック祭りとか、ヨーロッパの風景に出てくるだけであまり身近な花ではなかった様に思います。
少なくても私はヨーロッパでしか見たことがありませんでした。


パリのセーヌ川の中の島、シテ島では、週末ごとに花市場が立ちます。
ある時、出発前にこの花市場まで行き、抱えきれないほどライラックを買いました。無造作に新聞紙に包んでくれたのをそのまま家まで持ち帰り、その晩、夕食を兼ねてお馴染みのスペインレストランに届けに行きました。
レストランでは大喜びですぐに大きな壺に入れ、カウンターの上に置いて下さいました。そのお店の雰囲気にピッタリでしたので、レストランのご夫婦も私達も他のお客様も大変満足でした。
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それからお菓子… 洋梨のタルトです。やはりパリです。
これも、今なら美味しいのが沢山ありますが、昔、本格的なフランス菓子などあまりなかった頃のお話しです。


やはり出発前に出かけ、前日から目星をつけておいたケーキ屋さんで大きな丸いタルトを買って来ました。これは近所に住んでいる友達のためです。彼は絵の勉強をする傍ら、フランス菓子にも関心があり、六本木のケーキ屋でアルバイトをしていたのです。
持ち帰ったタルトを他の友だちも交えて食べましたが、彼は、「こんなに美味しいお菓子は一生に一度しか食べられない」 と言ってくれました。
しかしその後、彼は絵の勉強をするためパリ行きを実現し、結局パリで菓子職人に転向してしまいました。
今でも洋梨のタルトを食べると、必ず彼の事を思い出します。


そしてもう一つはお誕生祝いのスプーンです。 
自分の娘に、「おかあさんのところに生まれて来てくれて有難う」 と贈ったものです。


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あら、これもパリですね。偶然ですが。


ヨーロッパでは幸せな出生の子供を、「銀の匙をくわえて生まれて来たような」 と形容するそうです。
それで、出産祝いに銀のスプーンは定番の様で、多くの銀食器の会社がバースデイスプーンを作っています。


柄の表には生まれた年月日、時間と身長、体重、裏には赤ちゃんの名前が刻み込まれます。
普通のスープスプーンより一回り小さいくらいですので、大人になった今もデザートスプーンとして丁度良い大きさです。娘はこれをほとんど毎日使っていますが、きっとお婆さんになても使ってくれるでしょう。


出産祝いで、生まれた赤ちゃん本人が生涯使える物って、あまりないですね。 


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    表には生まれた時のデータ      裏には名前


娘のスプーン以外は、贈られた方々はもう覚えていないでしょう。
それで良いのです。
私の中には、彼らの喜ぶ顔が宝物としてちゃんと残っているのですから。。


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16 毎年試験が!


 私の在籍当時は新人であれベテランであれ、CA全員が個別に毎年一度、業務試験と実機でのサービス技量のチェックを受けなければなりませんでした。


 チェックとは、
ある日フライトの為に出社すると、何の前触れもなく突然 「今日はあなたのチェックです」 と言われます。そして一人のチェッカーが、基地を出てから基地に帰って来るまで、一週間のフライトなら一週間ずっと、仕事の間私に付き纏うのです。そして様々な側面から私の仕事を見、評価するのです。


    業務知識、サービス技量、お客様との会話、笑顔、他のCAとの協調性 etc.


そして、最後に講評を受けます。注意を受けたり、叱られたり、励まされたり … …


 もちろんこれはサービス水準を保つためであって、これでお給料が上がったり下がったりする訳ではありません。ですから普段からきちんと仕事をしているならば、いつも自分がしている様にすれば良いのですが、やはり緊張します。毎年、もうそろそろかなと思うとちょっと憂鬱でした。
 チェッカーはCAの部署の上司ですが、中には大変厳しい人もいます。厳しいと言っても理に適った厳しさは気持ちの良いものですが、理不尽な厳しさ(これは「厳しさ」ではなく、「いじわる」ですね)の人は本当にいやでした。


 でも、あの頃より大人になった今考えて見ると、きめ細かく指導していただき、育てていただいていたのだと言う事に気づきもしました。


 それにしても、物的商品の品質を保つ事も難しいと思いますが、人の手によるサービスの質を保つ事は本当に難しい事だと思います。


 初めの頃はこの様に、一人づつのチェックでしたが、後には一編成全体のグループチェックになり、その後はどうなったのでしょうか?今でもチェック制度があるのかどうか、他のエアラインでも行われているのか分かりません。


 何千人もCAが居るであろう今、こんなに手厚い指導は出来ないでしょう。そのための人件費もかかり過ぎますね、きっと。
 古き良き時代だったのかも知れません。


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             ロイヤルサンセット   花言葉  古き佳き思い出
              ~・~・~~・~・~~・~・~~・~・~


 


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13 ホテルについて

 


 どの航空会社であっても国際線の乗務員をしていますと、およそ毎月の三分の二前後は外食・外泊と言うことになるるでしょう
 滞在ホテルはもちろん各航空会社の契約した所ですので、自分で好きに選ぶ事は出来ませんが、ホテルの安全性と快適性が生活に大きく影響しますし、時には飛行機の運航の定時制や安全性にまで関わる事があります。
 観光旅行でも、ホテルの選定一つで旅の楽しさが違ってくる事も多いですね。


 今までプライベートな旅を含めて随分沢山の宿泊施設を利用しましたが、今回はそれらについて書いて見たいと思います。


 幾つものレストランや宴会場、会議場のある大規模のホテルは、世界中のどこからでも簡単に予約でき大変便利ですが、私は小規模な個人経営のホテルやB&Bが好きです。


 先ず大きなホテル、殊に近代的なのもには、いくつもある出入り口からレストラン、お店、会議場などの客や業者など、宿泊客以外に不特定の人が常に大勢出入りします。ホテル側がこれら全てを把握するのは無理ですし、死角もいくらでもありますから、公道と同じで落ち着きませんし、危険な事も多いのです。それに対して、客室数1から20とか30室の小さなホテルやB&B(Bed and Breakfast 一宿一飯!)は、入り口が一つで、常に鍵がかかっていて、個人の家のようにベルを鳴らして入るところが多いのです。ホテルの従業員数も少ないですが、お客を把握しているので、不審な人の入り込む余地がありません。
 そしてこれらの小規模なものの中にこそ、ヨーロッパなら昔はお城や貴族の館、修道院だった所などの豪華なアンティックホテルがあり、アメリカなら大きな個人住宅やログキャビンなど個性的なものがあるのです。 2~3泊でも家一軒借りる事の出来るところもあります。
 それらの多くでは本当に温かく質のよいサービスが受けられ、お値段は国際的な大ホテルより遥かに安いのです。


 これらの情報を集めた本、例えば 
   ☆Best Loved Hotels  
http://www.charmingsmallhotels.co.uk/ 
   ☆The Best Bed & breakfast  
amazon.com/Breakfast-England-Scotland-Wales-2006-2007/dp/0762739827 
   ☆Charming small hotel guides  http://www.charmingsmallhotels.co.uk/cgi-bin/articles.pl?id=551&section=39&action=display

等が書店の旅行のコーナーで売られていますので、また来たいと思う国のものを次回の為に買って置くのも手です。また、各都市の観光局でも、これらの宿を紹介する有料、無料の小冊子が手に入ります。


 と言っても現実には中心地の大ホテルに泊まらざるを得ない事も多いでしょう。その時の注意を、ご存知かも知れませんが二つだけ書かせて下さい。


   *部屋に入ったら必ず備え付けの災害時のマニュアルに目を通すこと。そして非常口と消
    火栓の位置を実際に確かめる事。私自身、二回夜中に火事騒ぎを経験しています。
   *ホテル全体の公共のトイレには、女性は昼間でもなるべく一人では行かないこと。日本
    の様に結婚披露宴がしょっちゅうあって、女子トイレがいつも女子で混んでいるのなら
    安心ですが、海外ではあまりそう言う事はありません。しかもロビーやフロントなどか
    らかなり離れた陰の方にあるのが普通ですから、危険な死角になります。


 どうか皆様、安全で快適な旅をなさって下さい。


 以下に、私が泊まった小さなお宿の内の幾つかをご紹介します。


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イタリー トスカーナ、 15世紀頃の豪農の館
 5部屋くらいだと思いますが、この時は私達以外にアメリカ人のカップル一組だけでした。道を挟んで向かい側に管理人の家がありますが、お客の到着と朝食の時以外来ないので、自分の家の様に気ままにのんびりしました。


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 イタリー ポジターノ (パンフレットの写真ですが、この通りでした)
15室。 断崖絶壁にへばりつく様に建てられ、各部屋からアマルフィの海岸を見下ろせる、元漁師の館


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アメリカのB&B
 3室 森の中の一軒家。これは家族のリビングルームですが、私達も自由に使わせていただきました。馬2頭とうさぎ、アヒル、犬などいましたが、農家ではありません。


 


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アメリカのB&B
 多分6室。個人の大邸宅。遥かに雪を頂いた山々を眺める位置に、露天のジャグジーがあります。


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上のお宿のダイニングルーム
 ここでホームメイドのマフィンやシナモンロールと玉子、ハム、果物、ヨーグルトなどのリッチな朝食。華やかでサービス精神旺盛なマダムと、物静かで優しいご主人の家です。


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イギリス コッツウォルズ゛ (パンフレットの写真)
 5室。15世紀には修道院だった建物で今は個人所有。マダムは、お子さん達が大きくなって独立したので、部屋が空いたから宿泊客を受け入れているとおっしゃってました。


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上の宿のダイニングルーム


 イギリス人の中年カップル2組と同宿。夕食はまず暖炉のある談話室で食前酒、その後準備の整ったテーブルに案内され、皆で一緒に大きな食卓を囲みます。宿のマダムも台所との間を行き来しながら共にテーブルに着き、まさに個人の家に遊びに行った様でした。
 左の紳士が、気軽く皆にお代わりのワインやオードブルを配ってくれました。そして食後は三階の広々としたリビングルームで暫くおしゃべり。お子さん方の結婚式の写真など見せて下さいました。

 2018年11月追記 この時に出されたオードブル・鱒の燻製とクリームで作ったものは、多少アレンジして、私の料理教室と家の定番中の定番となり、今に至るまで作り続けています。


 


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12 失敗のお話し その2

もう一つ、アホなお話しを。
東南アジア便です。


香港、バンコク、ジャカルタなど、東南アジアの便は比較的時間が短い上に盛りだくさんのサービスです。時差も少なく、昼間のフライト、お客様は疲れていらっしゃらないので、到着間際まで飲み物が出るわ 出るわ。


団体のおじ様方は私達を「ねえちゃん!」と呼びます。
「ねえちゃん、水割り」
「ねえちゃん、お茶、お茶!」
「ねえちゃん、ねえちゃん、ビール!」 と言うように。


ある時
あるお客様:       ねえちゃん、ねえちゃん、ビール!
私:           わたくし、ねえちゃんではございません。
そのお客様の周辺:    シーン!
私:           わたくし、おばちゃんです。
皆様:          ギャハhhh!


それから到着まで、あっちからもこっちからも 
「おばちゃん、おばちゃん、水、みず!」 
「おばちゃん、おばちゃん、お茶、お茶!
「おばちゃん、水割り!」 「おばちゃん、ビール!」 
「おばちゃん!」 「おばちゃん!」 「おばちゃん!」


あ~~~、ヒーッ""" 


 


 


 


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12 失敗のお話し その1

今日はアホなお話しを。


先ず、東京ーモスクワでの大失敗。


私は初めてのファーストクラスの厨房担当です。
当時はモスクワーパリ間で使う食事も東京で搭載していました。使うのは10時間以上先ですから、悪くならない様にしっかりとドライアイスを効かせなければなりません。
ファーストクラスの分厚いステーキは、東京でガチガチに凍結した状態で搭載されます。
モスクワーヨーロッパ間のCAの為に適当な時期にドライアイスを取り除いて解凍しておくのが、東京ーモスクワの厨房担当の重要な仕事です。


さて、飛行機はモスクワに到着。厨房を綺麗に片付け、必要書類を作り、引継ぎのメモも書き、全てを上司に報告して、後は出発の乗務員と会って引継ぎをするだけです。


先輩のお兄様: 「ステーキのドライアイス抜いといてくれた?」
私:        「はいっ!」


実は新米の私は、この質問の意味が分かっていなかったのです。それなのに無責任にも「はいっ!」 と答えてしまったのです。


空港からホテルまでのバスの中で、謎の質問がずっと気になっていました。ステーキは東京からの夕食に出してしまったのに…
そう言えば >_<!  以前に別の先輩がモスクワーパリのステーキの事を注意していたのをようやく思い出しました。


しかしその頃、ガチガチのステーキを発見してギンギンに怒っているであろう先輩のお兄様を乗せた飛行機では、離陸後ベルトのサインも消え、皆慌しく食事の準備に取り掛かっていたことでしょう。


今のように「解凍」キー付きの電子レンジなどない時代ですから、モスクワーパリ、3時間のフライト中にあのお肉は、絶対にお客様に出せる様に溶けはしません。メインディッシュはステーキご希望の方が多いのに…
お気の毒なお客様。 お気の毒な先輩様。 ごめんなさい! 


 


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11 タイの友だち


私が最初にバンコク便に乗務したのは1970年の2月です。滞在していたホテルに、シルクやコットンの小物とファッションジュエリーを扱う店がありました。経営者のお嬢さんのレックとマユリー姉妹と私は、すぐに親しくなり、バンコクに行けばいつも一緒に過ごすようになりました。10代だった彼女たちと、22歳だった私の長い長い付き合いの始まりです。


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                                 バンコク郊外  どこまでも続く椰子の林


当時のバンコクのタクシーは、日本で廃車になった車を輸入したものだったと聴きましたが、ポンコツ寸前ではあってもちゃんとエアコンがついて、とても便利な庶民の足です。

メーターがついているものの実際には使わず、お客は乗る前に行き先を運転手に告げて料金交渉をするのです。高いと思えばやり過ごし、納得行けば乗り込みます。日本人の私がいると高い事言うからと、交渉している間「あなたは見えないところ隠れてて!」とよくレックに言われました。


タクシーよりもっと安い「トゥクトゥク」と言うのにもよく乗りました。二人乗りの幌つき馬車をオートバイが引くような三輪の乗り物で、ガタガタ揺れるしうるさいし、決して乗り心地の良いものではありませんが、風を切ってぶっ飛ばすのが面白くて大好きでした。


当時は電車も地下鉄もなく、郊外へ行くには汽車、街中ではバスが公共の乗り物です。バスも解体寸前のような、ドアも窓も閉まらないものに、ラッシュ時には人が鈴なりにぶら下がって乗ります。最初の頃運賃が日本円で5円だったように記憶しています。
1980年代には窓の閉まる、エアコン付きのバスが走るようになり、とても快適になりました。
彼女たちと少し遠出するには、たまにお父さんの車で連れて行ってもらえる時以外は、これらの乗り物を利用しますが、バスの時はいつも「お財布気をつけて!」と言われました。


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        縦横に張り巡らされた運河  貧しい人々には生活の場です


 仏教徒が国民の95%を占めるタイでは、街中にも沢山の寺院や仏塔がありますが、どこでも土地の人々と様々な供え物、ろうそく、線香で大変賑わっていた光景を思い出します。


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                            寺院の庭


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                                寺院の内部

日本でも家に神棚や仏壇があった様に、また、庭にお稲荷さんを祭っている家があった様に、レックたちの家にはもちろん、多くの店やレストランにもタイ式の小さな仏壇がありましたし、庭のある家や会社はほとんど全てに外用の仏壇が立てられていました。
レックたち一家も敬虔な仏教徒です。彼女たちは街に出る時、乗り物の中からでもこれらの寺院などを見つけると、必ずそちらを向いて手を合わせていました。


私がレックとその家族に最後に会ったのは、1990年に夫と一緒に行った時で、一週間ほど家に泊めていただきました。その頃は二人とも外資系の企業のOLとして働いていましたが、わざわざ休暇をとって迎えてくれたのです。その後は家族で遊びに行く機会もないまま、たまに手紙をやり取りするだけの関係になってしまいました。


その頃以後のタイは、学生運動、革命、通貨危機、そして最近の政界のスキャンダルなどに揺れながらも、経済発展を続けているように私は遠くから感じているのですが、私が出会った大勢の穏やかで謙虚な人々の生活も、経済成長と共に慌しくなって行っているのでしょうか。


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 郊外の住宅地    右はレックの家


仕事を通じて出会った人々の中で、今、最も会いたい友だちはレックとマユリーです。


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10 マリア・カラスが私のフライトに

 


私はイタリアオペラが好きです、大好きです。生まれ変わった絶対にオペラ歌手になります。
そして、私はマリア・カラスを深く深く敬愛しています。


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                      1958年ロンドンでの「椿姫」


そのマリア・カラスが私のフライトに乗って来日したのです!


1974年の10月、マリア・カラスは韓国・ソウルから日本へ入りました。ワールドツアーの最後の国が日本だったのです。既にオペラは歌わなくなっていた彼女ですが、ジュゼッペ・ディ・ステファーノと共に、リサイタルのため来日したのです。


日本国内で5都市、7回公演しましたが、11月11日の札幌が記録されている限り彼女の生涯の最後の公式舞台となりました。
51歳、亡くなる3年前のことです。


 9072440.jpg          1955年ミラノでの「ランメルモールのルチア」より


その頃の私は、暇さえあれば、分かりもしないイタリア語のリブレットを見ながら、家ではLP(!)で、ウォークマン(!!)出現後はフライトでの滞在先でも彼女の歌を聴いていました。 


当時の東京ーソウルのフライトは、今のこの路線からは考えられないほどの、盛りだくさんのサービス内容でした。2時間前後の中で有料のお酒、温かい食事、機内販売…
まだまだ外国のお酒・煙草が日本で貴重だった頃ですから、多くの方が食事が下がるのももどかしくお買い物で、免税品販売に本当に時間がかかりました。滑走路が見えてもまだ終わらないと言う危なっかしい状態です。


出発前のインフォメーションでVIPとしてMrs. Maria Callas とMr. Giuseppe Di Stefano の名前が知らされた時、わが耳を疑いました。
エコノミークラスの一番後ろ担当だった私ですが、ファーストクラスのお二人に会わずしてこのフライトを終えるわけには行きません。


結局、到着直前に、ほんとにお顔を拝見するだけの時間抜け出してファーストクラスに行ってしまいました。一番前の左側のお座席で、お二人ともリラックスしたご様子、上機嫌でいらっしゃいました。上機嫌でいらっしゃる事に満足して、私は幸せな気持ちで一番後ろに帰りました。そしてそれ以上何も無いまま、フライトはあっけなく終わってしまったのです。


あ~ぁ 私がもう10年早く生まれていれば、一度くらいは実際のオペラの舞台を見る事が出来たかもしれないのに~~                      


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