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28 ソ連・モスクワへのフライト

以前に連載しておりました記事の中で、
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。
古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します
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 今日のようにどんよりと寒い日には、思い出すフライトがあります。
 モスクワへのフライトです。

 今でもロシアを訪れるにはビザが必要なようですが、ソ連時代、ビザを取るのは簡単ではなく、私達も一部の乗員だけが取り、一年間モスクワ経由のヨーロッパ線ばかりを飛びました。


 私は1991年のソビエト連邦崩壊以前しか知らず、今と比べる事が出来ないのですが、当時は旅行者にも様々な制約がありました。


 40km以上離れた場所に移動できない、空港や駅、橋その他、公共建造物を写真に撮ることが許されない… 入国時に持ち込める物にも色々と制限がありました。

 ホテルの建物は帝政時代の立派な建築でしたから、天井が高く、装飾もふんだんに施され、とても重厚で豪華なものです。
 しかし、ゴットンゴットン動く木製のエレベーター、冬でもスチームの殆ど効かない部屋、お湯もちょろちょろしか出ない風呂場、お尻のあたりが陥没したベッド・・・  全てが一時代も二時代も前です。
 そして備品は、寝具からタオル、トイレットペーパーに至るまで全て、清潔ではありますが、きわめて質素です。


 各階には家庭の台所のような一角があって、小母ちゃんが常駐しています。彼女たちは皆どっしりとした体躯に赤ら顔で、一見無愛想ですが親切です。
 朝ご飯はそこでピロシキを食べたり、頼めば卵料理も作ってくれます。
 ここでチャイと言えば、ジャムのたっぷり入った、ミルクを入れない紅茶の事で、銀やステンレスのホルダーをはめたグラスで出されます。
 私は、サモワールと言う装飾的な湯沸かし器から蒸気の立っている、ここの雰囲気が大好きでした。
 一階に大きなダイニングルームがあるのですが、メニューが少なく大変な無愛想、その上ものすごく時間がかかるので、乗員はあまり行きません。でも私はこの時代がかった、公式のレセプションでも開かれそうな雰囲気が好きで、良く一人で行ったものです。
 皆はどこで食事するかと言うと、乗員が共同で使える部屋があって、そこで簡単なお炊事をしたり、日本から持って行ったものを食べていたのだと思います。
 兎に角、街に出ても私達にとって当たり前のカフェやレストランなどない時代ですので、不満を言いつつも色々工夫して結構楽しんでいたのかも知れません。


 11月から3月までは、悪天候のために飛行機が離着陸できない事が頻繁にありました。
そんなときは
    東京やヨーロッパの始発地で待機、
    途中まで来て引き返し、
    東京ー広島くらい離れたレニングラード(今のサンクトペテルブルク)へ向かう、
    幸運なら、街から程近いVIP用の空港・ブヌクボに着陸して待機、
    そして既にモスクワにいる飛行機や乗員は、ホテルか空港に足止めです。
 いずれにしてもお客様は疲労困憊の上に、予定が狂う訳ですから大変です。


 数日滞在するだけの私達乗員ですが、一年間毎月となると条件的には大変な路線でしょう。けれど私にとってモスクワは、恐らく最も詩情を掻き立てられる都市だったと思います。


 四時ごろには暗くなり始める晩秋、毛皮の帽子をかぶった紳士たち、ネッカチーフで頭を覆った婦人たちが、霙の中を前かがみに家路を急ぎます。
 そして、固く凍てついた大通りに、延々と軒を連ねる石造りの古い建物・・・ 
 記憶の中では、全てがモノクロームの世界です。 


 けれど五月! 
 一斉に若葉が芽吹き、アカシア、ライラック、たんぽぽが咲き乱れ、頭上には青空があったことを初めて思い出します。


 そして九月!
 蛇行するモスクワ川に沿って続く遊歩道。その白樺並木が見渡す限り金色に輝いて、その下を歩いていた私は、我に帰ったら踊りながら飛跳ねながら走っていたことがありました。


 一般の庶民が外国人と個人的に親しくなる事が許されない環境でしたから、彼ら彼女らがどんな感情で生活しているのかを知ることは出来ませんでした。けれど、例えばホテルのフロント係りや店員、ウエーターなど、自分の通常の業務をこれ以上ないほど無愛想に行っている人たちが、ほんの一言で、親切なおじさん、おばさんに変るのです。
 私が初めてみる植物の枝が花瓶に生かっているのを見て、「ステキね、何て言う実ですか、」と話しかけると、言葉は通じなくても、あなたにあげると、惜しげもなく壷から出して持たせてくれるのです。
 また、お風呂場に備え付けのガラスのコップを壊してしまった事があるのですが、メイドさんを呼んで床の破片が危ないし、ごめんなさいね、と言うと、大丈夫大丈夫と言ってさっさと片付けて、私が怪我しなかったか心配してくれました。備品は全てしっかりと管理されていて一つでも無くなると大変だと聞いたことがあったのですが・・・


 下の写真は1976年のものです。


      改装中のプーシキン美術館


   当時、おびただしい数の巨大な像が薄暗い部屋の中に所狭しと置かれ、本来ならば
  
明晰なる青空の下に躍動しているであろうギリシャ、ローマの神々や英雄たちが気の
  毒に思えました。
   でも今ではこれらの学生達のためのレプリカも含め、膨大な数の所蔵品がすっかり整
  備されで展示されている様子をインターネットで知ることが出来ました。

          https://pushkinmuseum.art/museum/index.php?lang=ja
 


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    赤の広場に遊びに来ていた少年  
    あまり可愛いので、思わず駆け寄って写真を撮らせてもらいました。



 あれから32年? 42年?
 この国も世界も、劇的に変わりました。政治、経済、科学技術・・・ 
 文化の壁は? 人種の壁は? 宗教の壁は?
 そして、私達の心の中の善悪の壁、全てが取り除かれる日がいつか来ることを信じています。


 


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26 仕事の醍醐味

 交通機関の乗務員の仕事と言うのは、物理的には日々完結します。
大雑把に言えば、目的地に到着すればそれで完結です。


 何ヶ月も何年もかかって一つの仕事遂行して行く職種から見たら、スッキリとして楽な立場でしょう。
 しかし、それはとても恐ろしい事でもあります。物理的な到着時間までに、内容をも完結しなければならない。 後で考えてやり直す事が出来ない


 と言う条件の下、安全に快適にそして定時に完結するか否かによって、お客様の満足度が天と地ほど違うからです。


 ですからそれらが、殊に快適性が損なわれそうになった時、与えられた条件の中でいかに満足度高く内容的にも完結させるかが、仕事の醍醐味です。


 快適性は、それぞれに感じ方の大いに異なる部分と、ほぼ客観的にどなたにも共通な点とあります。
例えば客室内の温度。世界中の人々の快適だと思う温度には、恐らく10度近い差があるのではないでしょうか。
それから例えば機内での暴力。最近公共交通機関内での暴力沙汰がとても増えていると聞きますが、これはどなたにも共通して大変不快であろうし、危険であります。


 また、お客様の事情も随分違います。
 早く食事が欲しい方、ただひたすら眠りたい方、嬉しくて誰かとおしゃべりしていたい方、一人静かにしていたい方・・・


 大なり小なり、様々な事情や状況を超えてお客様に満足して到着していただくには、何と言っても良いチームワークが必要です。
 機長と客室責任者の方針を全員が理解して共有し、呼吸の合った仕事を出来た日は、どんなに忙しくても、面倒な事柄があったとしても、乗員も本当に満ち足りて飛行機を降りる事が出来ます。


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             オフで仲間と リオデジャネイロ


 未熟であっても、溌剌として活気ある新人。
 経験に裏打ちされた落ち着きと度量を持った、先輩、上司。
 技術と更に人間性において、全幅の信頼を寄せられる機長。


 こう言うチームで毎回仕事が出来れば、本当に幸せです。


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                 ホノルルでクルージング


 


 


     


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25 スチュワーデスの停年


 今の時代、どこの航空会社でも、女性の客室責任者や中年の女性CAなんて当たり前ですよね。
ところが1970年代半ば頃までは、特にアジアの航空会社では女性は若いことが売りでした。
 最長5年しか飛べないとか、29歳までとか、結婚したら飛べないとか…
 その頃私も、才色兼備のベテランのお姉さま方が、昨日ラインに出て来た新人男性CAより下にランク付けされているのを、複雑な思いで見ていました。


 しかし時代と共に女性の停年も5年延び、10年延びして、やがて夫あり、子持ち当たり前、昇格も60歳停年も、制度上は男性と同じとなったのです。


 私達に昇格の道が開かれた頃、私も、「責任者を呼べ」とお怒りの客様から、「男を出せ」と言われ、同僚男性からは、「女がヘッドで何かあっても俺は知らないからね」と言われた時代がありました。
 けれど、幸か不幸か女性がマネージャーでも責任者でも、そのこと故にトラブルがあったなんて聞いたことありません。


 そして今、責任者が女性か男性かなんて誰も問題にしない時代に、フライトが安全で快適ならば良い時代になりましたね。
 私も周囲のみんなに助けられながら、私が42歳、娘が3歳を過ぎるまで飛んでいました。  


 今年いただいた年賀状、私より少し後から入社して今でも飛んでいるかつての同僚からのものに、
「あと一年で停年です」、とありました。
 きっと彼女も今では管理職で、忙しい勤務をこなしていることでしょう。
 あ~ そう言う時代になりました


 あと一年、毎フライトを大切に大切に、健康で楽しく仕事を終えてね! と心から思います。


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24 オランダの年越しりんご


 交通機関は暮れもお正月も稼動していますから、私達乗員もいつも年越しは何処かの空です。


 ある年、オランダのアムステルダム滞在中に新年を迎えました。


 大晦日は昼間からあちこちで爆竹の音が聞こえていましたが、夕方になるにしたがって激しくなります。そして真っ暗になると花火が上がり始めました。
 真夜中に近づくに連れてその数が増えて行きます。



 12時直前には花火の数がピークに達し、あちこちから一斉に上がる花火で、遂に空じゅうが一杯になりました。

 私は街の中心部から少し離れて、回りに高い建物のないところにあるホテルの、見晴らしの良い階に泊まっていました。
 窓からの光景はプラネタリウムの様です。
 家々の屋根や教会の尖塔がシルエットになって浮かび上がり、どの方向からも一斉に花火が上がるのです。
 日本では、花火は、同じ方角から順番に上がるでしょう。ですから空じゅうに一度に上がる花火は初めてでした。


 その晩の夕食は、ホテルの近くの小さなレストランで済ませました。
 ウエートレスが申し訳なさそうに、「今日は8時で閉店なんです。いつもなら遅くまでやってるのに、ゆっくりしていただけなくてごめんなさい。」と言いながら、「家族で食べるために作ったんですが、いかが?」と、ナプキンに包んだりんごのお菓子を差し出します。
 もちろん大喜びでいただき、部屋まで持って帰りました。
 オランダの習慣では、年越しに、輪切りにしててんぷらの様に衣を付けて揚げたりんごを食べるのだそうです。


  厳冬の空に上がる満天の花火。 ホテルの部屋から、一人見つめる女…
  口には、輪切りのりんごのてんぷらを、しっかりとくわえて…


 5~6年後にも同じところで年越ししましたが、もはや花火はちょろちょろしか上がらず、りんごのてんぷらも出ては来ませんでした。


 


家に帰ってから、まねして作ったものがこちらです。


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            これも若き日の思い出の味です。


 作り方  りんごを輪切りにして軽く小麦粉をはたく。
      卵で溶き、シナモンとナツメッグを入れた小麦粉の衣を付け、
      多目のバターで焼く。
      出来上がりに粉砂糖を振る。


 


 


 


 


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19 ペルシャ湾の藻屑と 後編

 以前に連載しておりました記事の中で、
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。
古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します
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 足元の水を見ると歩いて帰れそうなくらい遠浅です。しかしだまされてはいけません。ここの海底は粘土質の土壌ですから、立とうとすればずぶずぶと引きずり込まれて行き、自力で再び浮き上がる事は出来ないのです。


 やはり帆を立てるしかないともう一度試みていると… 


 私の方に、二人乗りのサーフボードが近づいて来るのが、見えるではありませんか。


 この日家族と海岸に遊びに来ていたフランスからの駐在員が私に気付き、ホテルのベルマンを乗せて助けに来てくれたのです[exclamation]
 私のボードにホテルの人が乗り、私はフランス人のボードで浜辺まで連れて帰ってもらう事ができたのです[exclamation×2]


 素晴らしい、快速サーフィンでの帰り道です。
 ボードのしっぽにつかまってお尻から先を水に浸け、イルカに乗った少年のような気分で水面を曳航されて行きました。


 …と、途中で濡れたボードからするすると手が離れ始めるのです
 今度は海の中に身ひとつで取り残されてしまいました


 しかし、暫く行ってサーファー氏、急に軽くなった事に気付いたのでしょう、見事なUターンで戻って来て、私を海から引き上げてくれました。そして無事に浜辺に戻って来る事が出来たのです。


 その日は金曜日、イスラムの国では金曜日は私達の日曜日に当たり休日です。海岸の監視員も休みだったため、もしこのフランス人一家が気付いてくれなければ、私はきっとペルシャ湾の藻屑と消えていた事でしょう。
 そして日本でニュースになり、無謀でおろかな女として大きな顰蹙を買った事でしょう。


 しかし、ホテルの従業員氏と言いフランス人と言い、惚れ惚れするような見事な帆さばきでした。(そう言えばホテルの人は水着ではなく、白いベルマンの制服のままでした!


 私の方はその後機会がなく、未だにマスターしていません。 


教訓 
 
1、ウインドサーフィンをする時は、充分上達するまでは壊れていないボードを使う事。
 2、イスラム教の国で活動する時は、金曜日が休日であることを心得ておく事。


** アブダビ滞在中に描いた水彩のスケッチがある筈ですが、どうしても見つかりません。写真も残っていず、文字ばっかりで申し訳ありません。 **


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18 ペルシャ湾の藻屑と 前編


 今日はアラブ首長国連邦に滞在した時の私的な経験をお聞き下さい。


 1980年頃の南回りヨーロッパ線の中継地の一つ、アラブ首長国連邦の首都・アブダビ。就航便数が少ないため、必ず3~4日の滞在となります。比較的治安の良い街でしたが、それでも女性が一人で気軽に観光に出かけることの出来る場所ではありませんので、皆、毎日ホテルにたむろしている事になります。


 宿は海岸に建つゴージャスなリゾートホテルです。ペルシャ湾に面してプライベートビーチがあり、ペルシャ湾を出ればアラビア海です。 


 食事は、毎日三食ホテル内の洋食のビュッフェのみ。
私はひがな一日水着のまま、プールサイドの芝生でごろごろして過ごしています。


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 太陽が大好き、食べ物は何でもOKの私には、夢のような4日間です。
けれど、日焼けがだめ、和食が恋しい仲間にとっては、耐えがたき時間なのです。


 プライベートビーチにはお遊び道具が色々用意されていますが、観光地ではないので面倒を見てくれるインストラクターが居るわけではありません。
 私は到着の翌日、同乗の操縦士に教わりながら、生まれて初めてウインドサーフィンをしました。そしてその翌日、教えてくれた彼は日本に戻る便に乗務して行ってしまいました。
 ローマ行きの乗務まであと3日滞在する私はこの期間にマスターしてしまおうと、無謀にもひとりでウインドサーフィンの練習に出かけて行ったのです。


 最初の5分はうまく行きました。
 ところが少し強い風が吹き、すぐに帆が倒れてしまったのです。それからは、帆を立ててやっと立ち上がると再び風を受けて倒れ、また立ち上がるとまた倒れ…… 
 帆の根元を受けるボード側の穴が壊れていて、しっかりと立てることが出来ない、要修理のボードだったのです。
 それでも何とか岸まで帰ろうと、立てては倒れを繰り返している内に潮に流され、ふと見ると海岸は遥かかなたに遠ざかっていました。


 漸く事態が自分の手に負えない状態になろうとしている事に気付いた私は、浜辺に向かって一生懸命手を振りました。
 命がけで手を振っているつもりの私に、遠くの浜辺で誰かが親切にものんびりと手を振り返してくれました。


 そうじゃないの~  助けて~ 


 足元の水を見ると歩いて帰れそうなくらい遠浅です。しかしだまされてはいけません。ここの海底は粘土質の土壌ですから、立とうとすればずぶずぶと引きずり込まれて行き、自力で再び浮き上がる事は出来ないのです。


     さてさて、もとこさんの運命や如何に           後編に続く


 


 


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17 最も喜ばれたお土産の思い出


誰かに何かをプレゼントをして喜んでいただけるのは、贈った側も嬉しいですね。


フライト先で買ったお土産で、喜んでいただけた物を幾つか挙げて見ることにしましょう。


先ず、ライラックの花束です。

えっ?とお思いかも知れませんね。
今では家の近所でもいくらでも見ることが出来る花ですが、昔は札幌のライラック祭りとか、ヨーロッパの風景に出てくるだけであまり身近な花ではなかった様に思います。
少なくても私はヨーロッパでしか見たことがありませんでした。


パリのセーヌ川の中の島、シテ島では、週末ごとに花市場が立ちます。
ある時、出発前にこの花市場まで行き、抱えきれないほどライラックを買いました。無造作に新聞紙に包んでくれたのをそのまま家まで持ち帰り、その晩、夕食を兼ねてお馴染みのスペインレストランに届けに行きました。
レストランでは大喜びですぐに大きな壺に入れ、カウンターの上に置いて下さいました。そのお店の雰囲気にピッタリでしたので、レストランのご夫婦も私達も他のお客様も大変満足でした。
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それからお菓子… 洋梨のタルトです。やはりパリです。
これも、今なら美味しいのが沢山ありますが、昔、本格的なフランス菓子などあまりなかった頃のお話しです。


やはり出発前に出かけ、前日から目星をつけておいたケーキ屋さんで大きな丸いタルトを買って来ました。これは近所に住んでいる友達のためです。彼は絵の勉強をする傍ら、フランス菓子にも関心があり、六本木のケーキ屋でアルバイトをしていたのです。
持ち帰ったタルトを他の友だちも交えて食べましたが、彼は、「こんなに美味しいお菓子は一生に一度しか食べられない」 と言ってくれました。
しかしその後、彼は絵の勉強をするためパリ行きを実現し、結局パリで菓子職人に転向してしまいました。
今でも洋梨のタルトを食べると、必ず彼の事を思い出します。


そしてもう一つはお誕生祝いのスプーンです。 
自分の娘に、「おかあさんのところに生まれて来てくれて有難う」 と贈ったものです。


   9629321.jpg  


あら、これもパリですね。偶然ですが。


ヨーロッパでは幸せな出生の子供を、「銀の匙をくわえて生まれて来たような」 と形容するそうです。
それで、出産祝いに銀のスプーンは定番の様で、多くの銀食器の会社がバースデイスプーンを作っています。


柄の表には生まれた年月日、時間と身長、体重、裏には赤ちゃんの名前が刻み込まれます。
普通のスープスプーンより一回り小さいくらいですので、大人になった今もデザートスプーンとして丁度良い大きさです。娘はこれをほとんど毎日使っていますが、きっとお婆さんになても使ってくれるでしょう。


出産祝いで、生まれた赤ちゃん本人が生涯使える物って、あまりないですね。 


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    表には生まれた時のデータ      裏には名前


娘のスプーン以外は、贈られた方々はもう覚えていないでしょう。
それで良いのです。
私の中には、彼らの喜ぶ顔が宝物としてちゃんと残っているのですから。。


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16 毎年試験が!


 私の在籍当時は新人であれベテランであれ、CA全員が個別に毎年一度、業務試験と実機でのサービス技量のチェックを受けなければなりませんでした。


 チェックとは、
ある日フライトの為に出社すると、何の前触れもなく突然 「今日はあなたのチェックです」 と言われます。そして一人のチェッカーが、基地を出てから基地に帰って来るまで、一週間のフライトなら一週間ずっと、仕事の間私に付き纏うのです。そして様々な側面から私の仕事を見、評価するのです。


    業務知識、サービス技量、お客様との会話、笑顔、他のCAとの協調性 etc.


そして、最後に講評を受けます。注意を受けたり、叱られたり、励まされたり … …


 もちろんこれはサービス水準を保つためであって、これでお給料が上がったり下がったりする訳ではありません。ですから普段からきちんと仕事をしているならば、いつも自分がしている様にすれば良いのですが、やはり緊張します。毎年、もうそろそろかなと思うとちょっと憂鬱でした。
 チェッカーはCAの部署の上司ですが、中には大変厳しい人もいます。厳しいと言っても理に適った厳しさは気持ちの良いものですが、理不尽な厳しさ(これは「厳しさ」ではなく、「いじわる」ですね)の人は本当にいやでした。


 でも、あの頃より大人になった今考えて見ると、きめ細かく指導していただき、育てていただいていたのだと言う事に気づきもしました。


 それにしても、物的商品の品質を保つ事も難しいと思いますが、人の手によるサービスの質を保つ事は本当に難しい事だと思います。


 初めの頃はこの様に、一人づつのチェックでしたが、後には一編成全体のグループチェックになり、その後はどうなったのでしょうか?今でもチェック制度があるのかどうか、他のエアラインでも行われているのか分かりません。


 何千人もCAが居るであろう今、こんなに手厚い指導は出来ないでしょう。そのための人件費もかかり過ぎますね、きっと。
 古き良き時代だったのかも知れません。


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             ロイヤルサンセット   花言葉  古き佳き思い出
              ~・~・~~・~・~~・~・~~・~・~


 


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13 ホテルについて

 


 どの航空会社であっても国際線の乗務員をしていますと、およそ毎月の三分の二前後は外食・外泊と言うことになるるでしょう
 滞在ホテルはもちろん各航空会社の契約した所ですので、自分で好きに選ぶ事は出来ませんが、ホテルの安全性と快適性が生活に大きく影響しますし、時には飛行機の運航の定時制や安全性にまで関わる事があります。
 観光旅行でも、ホテルの選定一つで旅の楽しさが違ってくる事も多いですね。


 今までプライベートな旅を含めて随分沢山の宿泊施設を利用しましたが、今回はそれらについて書いて見たいと思います。


 幾つものレストランや宴会場、会議場のある大規模のホテルは、世界中のどこからでも簡単に予約でき大変便利ですが、私は小規模な個人経営のホテルやB&Bが好きです。


 先ず大きなホテル、殊に近代的なのもには、いくつもある出入り口からレストラン、お店、会議場などの客や業者など、宿泊客以外に不特定の人が常に大勢出入りします。ホテル側がこれら全てを把握するのは無理ですし、死角もいくらでもありますから、公道と同じで落ち着きませんし、危険な事も多いのです。それに対して、客室数1から20とか30室の小さなホテルやB&B(Bed and Breakfast 一宿一飯!)は、入り口が一つで、常に鍵がかかっていて、個人の家のようにベルを鳴らして入るところが多いのです。ホテルの従業員数も少ないですが、お客を把握しているので、不審な人の入り込む余地がありません。
 そしてこれらの小規模なものの中にこそ、ヨーロッパなら昔はお城や貴族の館、修道院だった所などの豪華なアンティックホテルがあり、アメリカなら大きな個人住宅やログキャビンなど個性的なものがあるのです。 2~3泊でも家一軒借りる事の出来るところもあります。
 それらの多くでは本当に温かく質のよいサービスが受けられ、お値段は国際的な大ホテルより遥かに安いのです。


 これらの情報を集めた本、例えば 
   ☆Best Loved Hotels  
http://www.charmingsmallhotels.co.uk/ 
   ☆The Best Bed & breakfast  
amazon.com/Breakfast-England-Scotland-Wales-2006-2007/dp/0762739827 
   ☆Charming small hotel guides  http://www.charmingsmallhotels.co.uk/cgi-bin/articles.pl?id=551&section=39&action=display

等が書店の旅行のコーナーで売られていますので、また来たいと思う国のものを次回の為に買って置くのも手です。また、各都市の観光局でも、これらの宿を紹介する有料、無料の小冊子が手に入ります。


 と言っても現実には中心地の大ホテルに泊まらざるを得ない事も多いでしょう。その時の注意を、ご存知かも知れませんが二つだけ書かせて下さい。


   *部屋に入ったら必ず備え付けの災害時のマニュアルに目を通すこと。そして非常口と消
    火栓の位置を実際に確かめる事。私自身、二回夜中に火事騒ぎを経験しています。
   *ホテル全体の公共のトイレには、女性は昼間でもなるべく一人では行かないこと。日本
    の様に結婚披露宴がしょっちゅうあって、女子トイレがいつも女子で混んでいるのなら
    安心ですが、海外ではあまりそう言う事はありません。しかもロビーやフロントなどか
    らかなり離れた陰の方にあるのが普通ですから、危険な死角になります。


 どうか皆様、安全で快適な旅をなさって下さい。


 以下に、私が泊まった小さなお宿の内の幾つかをご紹介します。


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イタリー トスカーナ、 15世紀頃の豪農の館
 5部屋くらいだと思いますが、この時は私達以外にアメリカ人のカップル一組だけでした。道を挟んで向かい側に管理人の家がありますが、お客の到着と朝食の時以外来ないので、自分の家の様に気ままにのんびりしました。


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 イタリー ポジターノ (パンフレットの写真ですが、この通りでした)
15室。 断崖絶壁にへばりつく様に建てられ、各部屋からアマルフィの海岸を見下ろせる、元漁師の館


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アメリカのB&B
 3室 森の中の一軒家。これは家族のリビングルームですが、私達も自由に使わせていただきました。馬2頭とうさぎ、アヒル、犬などいましたが、農家ではありません。


 


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アメリカのB&B
 多分6室。個人の大邸宅。遥かに雪を頂いた山々を眺める位置に、露天のジャグジーがあります。


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上のお宿のダイニングルーム
 ここでホームメイドのマフィンやシナモンロールと玉子、ハム、果物、ヨーグルトなどのリッチな朝食。華やかでサービス精神旺盛なマダムと、物静かで優しいご主人の家です。


9478997.jpg 
イギリス コッツウォルズ゛ (パンフレットの写真)
 5室。15世紀には修道院だった建物で今は個人所有。マダムは、お子さん達が大きくなって独立したので、部屋が空いたから宿泊客を受け入れているとおっしゃってました。


 9479005.jpg 
上の宿のダイニングルーム


 イギリス人の中年カップル2組と同宿。夕食はまず暖炉のある談話室で食前酒、その後準備の整ったテーブルに案内され、皆で一緒に大きな食卓を囲みます。宿のマダムも台所との間を行き来しながら共にテーブルに着き、まさに個人の家に遊びに行った様でした。
 左の紳士が、気軽く皆にお代わりのワインやオードブルを配ってくれました。そして食後は三階の広々としたリビングルームで暫くおしゃべり。お子さん方の結婚式の写真など見せて下さいました。

 2018年11月追記 この時に出されたオードブル・鱒の燻製とクリームで作ったものは、多少アレンジして、私の料理教室と家の定番中の定番となり、今に至るまで作り続けています。


 


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12 失敗のお話し その2

もう一つ、アホなお話しを。
東南アジア便です。


香港、バンコク、ジャカルタなど、東南アジアの便は比較的時間が短い上に盛りだくさんのサービスです。時差も少なく、昼間のフライト、お客様は疲れていらっしゃらないので、到着間際まで飲み物が出るわ 出るわ。


団体のおじ様方は私達を「ねえちゃん!」と呼びます。
「ねえちゃん、水割り」
「ねえちゃん、お茶、お茶!」
「ねえちゃん、ねえちゃん、ビール!」 と言うように。


ある時
あるお客様:       ねえちゃん、ねえちゃん、ビール!
私:           わたくし、ねえちゃんではございません。
そのお客様の周辺:    シーン!
私:           わたくし、おばちゃんです。
皆様:          ギャハhhh!


それから到着まで、あっちからもこっちからも 
「おばちゃん、おばちゃん、水、みず!」 
「おばちゃん、おばちゃん、お茶、お茶!
「おばちゃん、水割り!」 「おばちゃん、ビール!」 
「おばちゃん!」 「おばちゃん!」 「おばちゃん!」


あ~~~、ヒーッ""" 


 


 


 


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